OVER

Scene6

                                    
「永ちゃん、ちょっと弁当付き合って」

「弁当?」

志村の手には、風呂敷に包まれた重箱が下げられていた。
「どうしたんだ、それ」
「うん、まあ、ちょっと……天気いいし、中庭行かねえ?」
曖昧に言葉を濁すと、志村は先に立って歩き出した。


教室棟と教室棟の間には、中庭と呼ばれる、小さな芝生の空間がある。
春や秋の爽やかな季節であれば気持のいい場所なのだが、9月も終わりのこの日、気温はすでに30度を越えていた。

「うう、あっついんだけど」
志村は何度目かの「暑い」を言うと、シャツのボタンを全部外してしまった。
いつもなら注意するところだが、本当に暑いので見逃すことにして、立派すぎる二段重ねの重箱弁当から、正体の分からない、綺麗な桜色をした魚の練り物のようなものを箸でつまみあげる。
内容といい、いろどりといい、家庭のお弁当というより、まるで仕出し弁当のような豪華さだ。

「あーつーいー」
志村はまだ文句を言っている。

「おまえがここがいいって言ったんだぞ」
「だって中庭なら静かだろうと思ってさあ。永ちゃん、なんでそんな涼しそうな顔してんだよ」
「こういう顔なんだよ。俺だって暑い」
「そっか」
真面目くさった顔で頷くと、志村はこちらをじっと見た。
「なんだ?」
「うん……。永ちゃん、ちょっと痩せたろ」
「そうか?」
「痩せたよ。もともと細いんだから、ちゃんと食わないと。肉とか、ほら」
志村が重箱から豚の角煮らしきものを選び出し、俺の口に入れようとする。
「いいって、自分で――」
「うるせえ、男らしく黙って食う!」
なにが「男らしく」なのか分からないが、いつになく押しの強い志村に、口の中に肉を押し込まれる。
「ん、よし」
意外に大きな肉の塊に驚き、あわてて咀嚼する俺を見て、志村は満足そうに頷いた。


志村に言われるほど、痩せただろうか。
祖母が家にいたころは、交代でそれなりの食事をつくっていたのだが、家にひとりになった今は、買って済ませることが多くなっていた。
病室の深刻な雰囲気にあてられて帰ってくるせいか、なんとなく食欲が落ちているような気はしている。
「見ーつーけーたー」
その時、どこか上のほうで、聞いたような声がした。
振り返ると、後ろの校舎の2階の窓から、寺田亜紀と篠崎真理が顔を出している。
「ねえねえ、ちょっと話あるんだけど、そっち行っていいー?」
寺田亜紀が手を振り、そう言った。
「いいわけねえだろ、来んな!」
志村がいきなり吠えるので、俺はぎょっとした。
「おい……」
「聞こえなーい。志村に話があるわけじゃないもん。永一くんに言ってるんだからねーだ!」
寺田亜紀は気にする様子もなく、舌を出してそう反論すると、引っ込んでしまう。
「今からそっちに行くみたいだよ。学祭の話をしたいって、向坂のこと捜していたから」
2階に窓にひとり残った篠崎真理は、そう説明して、かるく手を振った。
篠崎の立つそこは、俺が松下のファイルを見てしまった、あの教科準備室だ。
松下は、今そこにいるのだろうか。



「センセー、ここ暑いから、そっち行っていい?」
志村が、篠崎へ呼びかける。
「いいけど、寺田とすれちがっちゃうよ?」
篠崎は長い髪をかきあげ、悪戯っぽい目をして、笑った。


「立派なお弁当だねえ、料亭みたいじゃない。あ、これ美味しいね!」
迎え入れられた数学準備室は無人で、篠崎真理は俺と志村に茶を淹れてくれ、何故か三人で弁当を囲むことになってしまった。
「ウチのおふくろ、たまに弁当つくってくれっていうと、ヘンに張り切りすぎるみたいでさあ」
「えー、いいお母さんじゃん」
「いや、あれは、そういう自分が好きなだけ」
「女ってそういうもんでしょ。志村は厳しすぎるんだよ、そういうとこ」
志村と篠崎は、まるで友達同士のように会話が弾み、俺はぼんやりとそれを眺めていた。

「永ちゃん、これ美味しいって、これ」
そんな会話の合間にも、志村がまた俺に食べさせようとする。
「いいって」と押し返すと、篠崎がそれを見て笑った。

「向坂は、志村と中学が同じだったんだっけ?」
「はあ」
「なにが『はあ』なんだよ。なんでそんなイヤそうな顔で『はあ』なんだよ?」
「だまっとけ」
口を挟む志村に、いつもの調子でそう言うと、本当におとなしく黙り込んだ。
篠崎がそれを見て、プッと吹き出す。
「向坂って、すごいねえ。飼主みたい。なんでコレにそんなになつかれちゃったわけ?」
腹を抱えて苦しそうに笑いながら、篠崎は言った。

別になつかれてなんかいないとか、こんなのを飼った覚えはないとか、そういった返事をするはずだったが、結局それを口にする機会はなかった。


いきなり何の前ぶれもなく扉が開き、松下が入って来たからだ。
松下和樹が。


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