夏の檻(OVER番外編)

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<20>



どうやって話を切り出したもんかな、と考えながら。
駅前の大型ドラッグストアの入口のところで、俺は壁に寄りかかってボンヤリしていた。
世間的には、クリスマスまで、あと10日。
俺にとっては、高校卒業まで残すところ三ヶ月を切ってしまった、12月のことだ。


「この世の終わりみたいな顔しちゃって、どうしたのよ」


誰だこいつ。
目の前に立つ、見慣れない他校の制服を着た女の顔を、まじまじと見る。
面白がっているようなその顔を見ても誰だか分からなかったので、頭のてっぺんから足の先まで、じっくり見る。
すらりと伸びた形の良い足に気がついて、もう一度よく顔を見てみる。と。
「……仁科?」
「うわ遅い。傷つくわー」
ケラケラと明るく笑うその女は、別人みたいにすっかり大人びた、仁科麻紀だった。
最後に仁科の姿を見たのは中学の卒業式で、あれからもう三年くらい経つんだから、変わってたって当たり前なんだが。
俺の中の仁科の記憶というのは、ちょっと怒っているか、だいぶ怒っているか、ものすごく怒っている顔ばかりなので、目の前のこのサッパリした表情で笑う女とは、どうしても上手く結びつかなかった。
「で? 向坂くんはどこよ。一緒じゃないの?」
三年ぶりに顔を合わせたくせに、いるのが当たり前のように言って、仁科は辺りを見まわした。


意地でも「一緒じゃねえよ」と言ってやりたいところだが、どうにも元気の出ない俺は、正直に答えてしまう。
「永ちゃんは、買い物。俺はタバコ」
「はあ? どこに?」
手ぶらな俺を見て、仁科が高い声をあげた。
「……ってことにして、ちょっと休憩中」
口の端だけで笑う俺に、仁科は片方の眉を上げ、何か言いたそうな顔をしたが、結局何も言わなかった。


最近になって、よく思い出すのは、三年前のあの夏の出来事だ。
当時は、あんまり深く考えずに忘れてしまった。毎日が忙しかったし、暑かったし、落とし穴に落ちてしまったくらいの失敗談だと、そう思っていた。


仁科の大叔父にあたる人間が、あの林のあの場所に住んでいたということ。
そいつは子供のころに何かしでかして、何年もそこに閉じ込められていたのだが、世話をするために通っていた母親を道づれに、無理心中をやらかしたらしいこと。
それから倉田家の人間がつぎつぎと病気に倒れ、家が絶えてしまったのだということ。
……祖父さんから聞いたのは、そんな話だ。

俺がこの目で見た光景は、そんなふうではなかった。
「あの男」はしつこいくらい「自分のせいじゃない」と言っていたし。
首を吊っていた死体は、俺が抱えて樹から下ろした、ほっそりとした女の体は……たぶん、妊娠していて。
雨の中を、殺気立った大勢の人間が、武器を手に追いかけて来る。
あの森で本当にあったのは、何て言うか、もっとずっと――血なまぐさいことだったんじゃないのか。


「さあね」
三年越しの俺の疑問に、仁科は肩をすくめた。
「昔のことだし、実際に何があったのか、本当のところは分からないの。でも、みんな死んじゃったのは本当だし、今でもうちは男子は育たないって言われてる。お祓いしてもダメ、養子をもらってもダメ、男の子は、みんなあの森に呼ばれて……帰って来なくなるんだって」
「……ウソだろ?」
俺がぞっとしたのは、もちろん寒さのせいではない。
仁科はそんな俺の様子を見て、大人びた顔で苦笑した。
「ウソだったら、いいんだけどね」
「だって……だって、おまえ、あの時そんなこと言ってなかったじゃないか」
「言うなって言われたもの。向坂くんが、志村には絶対に言うなって」



あの夏の夜のことは、今でもはっきり思い出せる。
学校裏の林からの帰り道、月のない暗い空。蒸し暑い空気。
まったく足腰の立たない――酒を飲んでるわけでもないのに、立てないというのは充分に異常な事態だと思うんだが――俺は、永ちゃんの自転車のうしろで揺られながら、あれを見た、これを見た、と興奮ぎみにわめいていた。
「ああ、もう、分かったから。うるさい。おまえ重い」
まるで虫でも振りはらうみたいに、永ちゃんには邪険にされ、
「ちょっと志村ー、あんたの家に電話してやったわよ。え? こっそり? 入れるわけないでしょ。あんたんち、塀にまでセンサーバリバリついてるじゃない!」
仁科はもっともらしいことを言って、深夜に俺の家をパニックに陥れたのだが、あれは絶対にあいつのいやがらせだ。

助けに来てくれたはずの二人がそんな態度で、まったく深刻な様子ではなかったので、俺はこれで終わったのだと思っていた。
永ちゃんの肩でうとうとしながら、すっかり安心して、幸せな気持ちにさえなっていた。




「……誰かいたのか?」
いつの間にか買い物を終えて戻って来た永ちゃんが、仁科の消えた方向を眺めてボンヤリしていた俺を、不思議そうに見た。
「あー、べつに、なんでも……」
曖昧に言葉を濁すと、先に立って歩き出す。
なんだっけ、と記憶をさぐってみる。
こう切り出して、こんなふうに言おう、と立てていた段取りが、仁科にあんなことを言われたせいで、すっかりどこかへ吹き飛んでしまっていた。




「向坂くんが、志村には絶対に言うなって」
仁科の口から意外な言葉が飛び出して、俺はびっくりした。
俺の知る向坂永一というやつは、いつだって一歩退いて周りに遠慮しているようなところがあって、俺に小言を言ったりするのは、本人にとっては例外中の例外の行動で、普段はそんなふうに積極的に他人にああしろこうしろと指示するような人間ではないのだ。
「呪いなんか、あってもなくても、志村は暗示にかかってホントにフラフラ死んじゃいそうだから――だから、絶対に言うな、って」
仁科は真面目な顔で言うのだが……ひどい言われようじゃないのか、それ。
なんともいえない俺の表情を見て、仁科はひらひらと手を振った。
「べつにバカにしてるわけじゃないわよ。呪いって、近頃じゃマイナスプラシーボ効果ってことにされてるみたいだから、向坂くんが心配してたのは、そのあたりのことなんでしょ」
あいにく俺はマイナスなんとかも知らなければ、そのあたりがどのあたりなのかも分からないのだが、仁科はお構いなしにこう続けた。
「でも、私はねえ、この『呪い』って、条件がある程度そろった時に勝手に動き出す、一種のプログラムみたいなものじゃないかと思ってるんだけど……」
「意味わかんねえ。だいたい俺はおまえんちの人間じゃないだろ。なんで呪われなきゃなんないんだよ」
不満げに口をとがらせた俺に、仁科は笑った。
「ああ、だから、それがある程度の条件ってやつなのよ。分からない?」
「なにが」
「だからね」
笑いながら何かを言いかけて、仁科はふいにパッと顔を上げた。
「あっと、時間切れ。向坂くんだ」
どこに永ちゃんが? とあわてて辺りを見回すと、確かに店の中の人ごみの向こうに、見覚えのある頭のてっぺんが見えた。
「ま、その件については、たぶん、もう大丈夫でしょ」
ポンポンと素早く俺の肩を叩くと、「じゃ、元気でね」と仁科はあわただしく背を向けた。
「おい、待てよ」
なんだその、無責任な発言は。
呪いだなんだとさんざん脅しておいて、「たぶん」て。


「そうだ」
去りかけて、仁科は思い出したように振り返った。
「私ねえ、去年のあんたのとこの学園祭、行ったのよ」
「……なんだって?」
学園祭、という呪い以上に不吉な言葉に、俺は全身をこわばらせた。
去年の学祭といえば、それは――
「劇みたわ。面白かった」
「うるせえ、いいから忘れろ!」
首まで赤くなって、俺は叫んだ。
去年の学祭。
それは、いつもなら学校行事はきれいにスルーするはずの俺が、ケガをして入院してしまった永ちゃんの代わりにクラスの劇に出るという、前代見聞の事態となった、忘れたくても忘れられないイベントだった。
だいたい、脚本がよくない。
最初から永ちゃんを想定していたらしいその役は、俺が生きてて一度も使ったことのないような日本語のオンパレードで、セリフはすべりにすべり、笑いをとるはずの場面で観客がポカンとして、泣かせるはずの場面で場内大爆笑という、俺自身にもまったく理由の分からない結果となった。

あんなところを、この仁科に見られたのか。

「なんでよ、かっこよかったわよ」
嫌味かと思ったが、仁科は微笑んだ。
「すごい、一生懸命やってたじゃない。あんたにしては、かっこよかったわよ」

だって、それは。
永ちゃんが入院したせいで予定が狂ったって、イヤミなことを言うやつがクラスにいたから、だから――
だまって仁科を見送ってしまいそうになっていた俺は、ハッと我に返った。
「おい、待てよ、呪いはどうなってんだよ! おまえんちの呪いに、なんで俺が呪われんだよ!」
声を張り上げる俺に、仁科は「ホントに分からない?」と肩越しに問いかけて、心から楽しそうに笑った。
「だって、あんたって――私と結婚の約束してたじゃない、まあくん」


まっかな夕陽が、ビルの向こうに飲み込まれていくのが見える。
陸橋の上は強い風が吹いていて、頬が切られるように痛い。
あれから三年。
たった三年の間に、俺が毎日のように入りびたっていた永ちゃんの家は火事で焼けてしまい、殺しても死なないように見えたばあちゃんは癌で死んでしまった。
先月ひとりで見に行った焼け跡は、今はもう、なんにもなかったみたいな更地になっていて、土地は売ることになりそうだと、永ちゃんは淡々と言っていた。
その永ちゃんは、今は母親のマンションにいるはずなのだが、俺はそこへは顔を出さないことにしているので、どういう暮らしぶりなのか、いまいち分からない。
俺はと言えば、家にも学校にも寄り付かないところは相変わらずだが、今では多少の知恵もついて、利口に立ち回れるようになっていた。中学生当時の自分が、何でまたあんなに、あっちにぶつかったり、こっちにぶつかったりして揉め事ばかり起こしていたのか、不思議なくらいだ。


変わっていくのも、変わったことに慣れてしまうのも、意外とあっけない。


黙ってブラブラと先を歩いていた俺は、覚悟を決めて、こう切り出した。



「永ちゃんさあ――指定校とれたんだって?」





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