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●  まるで愛のような --- 14  ●

ぼそぼそと話す声が聞こえて、私は目を覚ました。
見知らぬ部屋で寝ていたことに驚いて、暗闇の中、そうかここは日本じゃないんだと思い出す。

すぐ隣りに、エマが幸せそうな顔で、すやすやと寝息をたてていた。
スタンレー家の人々に引き止められ、予約していた宿をキャンセルして泊めてもらうことにしたのはいいが、いまだ増築中だというこの家は、ゲストルームが一室しかないのだそうだ。
最初は難色を示していた夏生は、エマが「タカコは私の部屋に来ればいい」と言い出すと、何故か張り合い出して、この11歳の女の子と本気で言い争い、私が口を挟めないでいるうちに、ゲストルームに三人で寝るという、よくわからない結論に落ち着いていた。

「だから……で、そのことは……だろ」

バスルームの方から、ぼんやりした明かりが漏れ、夏生の声が切れ切れに聞こえてくる。
声の調子からすると、電話をしているようだった。
彼女かな。蓉子先生かな。
天井を眺めて考えていると、電話を片手に夏生が部屋へ入って来た。
「悪い。うるさかったか」
こちらを見て、足をとめて言う。
驚いた。こんな暗い室内で、私が起きていることなど、どうしてすぐに分かるんだろう。
「ちょっと目がさめただけ。いま何時?」
「まだ11時すぎだろ。さっきまで隆明と飲んでたんだけど、あいつ……」
夏生の言葉が途切れて、考え込むような顔をした。
「あいつ、酒弱いな」
ポツリと投げ出された一言に、何を言うのかと身構えていた私は吹き出しそうになって、どうにかこらえた。ここで笑ったりしたら、よく眠っているエマを起こしてしまう。
「へえ……、そうなんだ」
「そう。知らなかった。すぐフラフラするから、びっくりした」
「そうなんだ」
子供のころの私たちには、知る機会がなかったことだ。
びっくりしたという、素朴な実感のこもった言い方がおかしくて、堪えきれずにクスクス笑っていると、夏生は「そんなヘンなこと言ったか?」と首をひねった。
よかった、と思った。
それなら、隆明さんと夏生は、話が出来たのだ。

「で、なんでコレがおまえにくっついてるんだ?」
夏生が指差すコレとは、私の横に寝ているエマのことらしい。
「なんでって……普通これでいいんじゃないの?」
ベッドはふたつしかないのだから、どう考えてもこの組み合わせしか、ないだろう。
「おまえは甘いから、すぐにそうやって、ガキとかガキとかガキとかに、つけこまれるんだよ」
「別につけこまれてないけど……」
夏生の不機嫌そうな理由が分からず、私は困惑した。
「ここに来る前に、鳴沢に電話しただろ」
「ああ。会社に電話もらってたから。心配してくれてたみたいだから、隆明さんに会いに行くことだけは言っておいたけど……」
何で夏生がそれを知っているんだろう。
「あいつのは心配なんかじゃねえんだよ。あのロリコン、昔っから、おまえにベタベタしてきてイヤなんだ。どうせ日本に帰ったら食事に行こうとか誘ってきたんじゃないか?」
……それは言ってたけど。
「でも、鳴沢さん、もう奥さんも子供もいるみたいだし、そんなんじゃないと思うけど」
あまりに刺々しい夏生の言いように、私は戸惑った。
夏生の考えすぎじゃないだろうか。私の記憶の中では、鳴沢さんについては、遊んでもらった楽しい思い出しか残っていない。
「ああ、おまえのその理屈でいくと、世の中は浮気も不倫もなくて平和そうだよなあ……」
夏生はおおげさに溜息をつくと、床にずるずると座りこみ、ベッドに寄りかかって、疲れた、と呟いた。
にぶい私にも、どうやら馬鹿にされているらしいことが分かった。
「夏生」
何か言ってやらなくてはと体を起こして呼びかけると、夏生は目を閉じたまま、何かぼそりと言った。
「なに?」
「……他のやつらは甘やかさなくていいから、おれに優しくしろ」
完全に虚をつかれて、私は何秒か機能停止していたと思う。

ずっと訳のわからないことを言って絡んでくると思ったら――そんなことで拗ねていたのか。

「優しく……してると思うけど」
「嘘つけ。すぐ蹴るし泣くし、言うこと全然聞かねえし。デブと付き合うし」
「蹴ったりなんか――デブって」
夏生は目を開けて、しまったという顔をした。
「いや、それは、あれだ」
「デブって何よ?」
「悪い。忘れろ。今のは小太りの言い間違いだ」
「ば……」
馬鹿じゃないのと言いかけて。

私と塚田さんが付き合ってなどいないことか。
夏生が塚田さんを心の中でデブと呼んでいたことか。
それとも、小太りはデブの丁寧語でもなんでもないことか。

どこから否定すべきなのか分からなくなり、動揺した私が口をパクパクさせていると、夏生が先に口を開いた。
「まあ、あのデ……小太りは、悪い奴じゃなさそうだ。分かってるんだけどな。おまえは多分、ああいう感じの、のんびりした奴と一緒にいるのがいいんだろうよ」
「あの、夏生、ちょっと」
「俺といても、まあ、あんまり楽しくはないだろうしなあ……」
独り言のようにそう呟くと、それきり黙ってしまい、何も聞こえなくなってしまった。
「……夏生?」
そっと起き上がって側へ行くと、夏生はその姿勢のまま、寝息をたてていた。
くんくんと嗅いでみると――酒くさい。
言っていることが支離滅裂でおかしいと思ったら、やっぱり酔っていたのか。
「まったく……」
動揺した自分に腹を立てながら、このままここに寝かせておくわけにもいかないので、ベッドの上に引っ張りあげようかと夏生の肩に手を伸ばす。
その時だった。
私は突然バランスを崩し、声を上げる暇もなく、夏生の上に倒れこんだ。
「いったた……うわ、ごめん」
どこかに額をぶつけた。
何が起こったのか分からないまま、謝りながら慌てて体を起こすと、驚くほど近くに、怒ったような夏生の顔があった。
「だからお前は甘いって言ってんだよ――あれくらいで酔うか、バカ」
「な……」
低い声で言われ、あっけなく夏生の腕の中におさまってしまってから、手首をつかまれて倒されたのだと、ようやく気がついた。
「そんなんだから、俺みたいなヤツにつけこまれるんだよ。ちょっとは警戒しろ」
頭の上で、くぐもったような夏生の声がした。

心臓が握りつぶされたように、痛んだ。

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