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●  まるで愛のような --- 15  ●

翌朝はよく晴れて、輝くような夏の一日が始まった。

元気よく世話をやいてくれるエマに対して、私は完全に上の空で、着替える動作まで人形のようにぎくしゃくしては、この年下の少女を心配させていた。
先に起き出していたらしい夏生とは、朝食の席で顔を合わせたものの、いつもと変わりなく平静で、まったく隙の無いその態度には、はっきりとした拒絶が感じ取れた。
昨夜のことなど、一言も持ち出せないような。

蒔田さんが迎えに来てくれるまでの数時間、私はエマに敷地内を案内してもらって過ごし、そのおかげで、いくらか笑ったように思う。
夏生は母屋に残って、何本も電話をかけたり、隆明さんと今後の話をしたりしていたようだった。


「貴子」
エマと再会の約束をして、ジェニファーにお世話になったお礼を言い、車に乗り込もうとしたところを、隆明さんに呼び止められた。
「来てくれて、ありがとう。今度は日本で会えるといいな」
首を傾げて優しく笑う、その目元がとても好きだった。
そうやって隆明さんに笑いかけられると、今でもやっぱり、鼓動が早くなったりするのだ。
その事実に気がついて自分でもあきれてしまい、私は苦笑した。
「うん、今度は日本で」
笑って手を振り、これが本当のお別れだ、と思った。
隆明さんの死を大事にお守りのようにしまいこんできた日々は、本当は少しも寂しくなかった。
こうして生きていた隆明さんに会って、今度こそ本当に、私はこの人とお別れしなければならないのだ。

もっと沈んだ気持ちになるかと思っていたのに、不思議と清々しい気分なのは、この夏の日差しのせいだろうか。
それとも、この風景に立つ隆明さんが、とても馴染んで、満ち足りて見えるせいだろうか。

「ああ、それと」
隆明さんはニヤリと笑うと、私を手招きして、こっそりと耳打ちした。
「夏生をよろしくな」
「よろしくって」
その時、どこからか、にゅっと手が現れて、隆明さんの顔を押し返した。
「気安くさわんな、ばかやろう」
先に車に乗り込んでいたはずの夏生が後ろに立っていて、私は心底びっくりした。
「あー、はいはい、ごめんな」
両手を上げて、隆明さんは面白そうに笑い、夏生はムッとした表情のまま「あばよ」と短く吐き捨てて私の腕を引っ張った。
「まったく、あの能天気が。どうせ夏生をよろしくとか言ったんだろ」
私を車に押し込みながら、夏生が言った。
「聞いてたの?」
「やっぱりそうか。アイツの言いそうなことなんか、分かるに決まってんだろうが」
顔をしかめて夏生は首を振り、「気にしなくていいからな」と言い残して、助手席へまわってしまった。


夏生は昨夜、同じことを言った。


「……なんてな」
私が何も言えず、夏生の腕の中で固まってしまっていると、夏生はいきなり体を離した。
「今のナシ。気にするな」
いきなり立ち上がって、くるりと背を向ける。どんな顔をしているのか、まったく分からない。
「夏生」
「ちょっと出てくるから、もう寝てろ」
「夏生、あの……」
「気にしなくていい。分かってるから」
うろたえる私を見て、疲れたように口の端を上げてみせる。
夏生が出て行って、いつ戻って来たのかは、分からない。

追いかけて、何か言えばよかったんだろうか。分かってるって、夏生は何が分かっているんだろう。
胸の奥が、キリキリと痛む。
私は、この人のことを何ひとつ分かってなかったんじゃないだろうか。
この人が言っていることを、いつも聞き流していたんじゃないだろうか。
寂しいと――
そんな言葉は、夏生の口から一言も出てこなかったけれど。
寂しいと、言われたような、気がした。



「相川くんは、贅沢慣れしちゃってるからねえ。高価なものより地元でしか手に入らないもののほうが喜ぶだろうね」

蒔田さんのアドバイスにより、カウラ市内のワイナリーに寄ってもらい、相川さんへのおみやげを購入した。
そこは、蒔田さんが昨夜泊めてもらったという友人のワイナリーで、試飲させてもらいながら相川さんの好みに合いそうなワインを選んだり、約束していた慰霊碑に寄ってもらったりしていたせいで、ようやくシドニーに到着したころには、夕暮れ時になっていた。
ホテルのエントランスまで送り届けてくれた蒔田さんは、食事を一緒に、という夏生の申し出を「家内が待ってますから」とやわらかく断って、爽やかに去って行ってしまい――私と夏生は、本日初めてふたりきりになってしまった。

「……海」
去って行く蒔田さんの車を見送っていると、横に立った夏生が言った。
「は?」
「海、行かないか」
「水着もってないけど……」
夏生は派手に吹き出した。
「俺も水着はないな。散歩しに行こう。明日はちょっと時間がないし」
目元ににじんだ涙をぬぐいながら、いつもとは違う、穏やかな調子で夏生は言った。

最後だから、付き合えよ、と。

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