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●  まるで愛のような ---  ●

夜のフライトは、機内も静かだ。
隣の夏生は、死んだように眠りについている。
搭乗時間が始まってもなかなか現れず、時間ぎりぎりに駆け込んできた夏生は、「ちょっと寝かせろ」と言うなりシートに沈み込んでしまった。

……疲れているんだな、きっと。

寝顔をのぞきこむと、意外にも安らかで、少しだけホッとする。
そろそろ機内食が配られる時間だけれど、このままそっと寝かせておこうか。
いや、あとで絶対に文句を言われるな。
そんなことを考えてひとり笑い、ふと寂しい予感にとらわれた。
夏生と旅をするなんて、これが最初で最後になるだろう、と。



「え、休暇? いいわよ。一週間くらい?」
あっさりそう承諾された時は、ポカンと口が開いてしまった。
相川さんは複数の案件を時間に追われながら進めていたし、忘年会シーズンでもあり、仕事上の会食も入ったりして、ここ数日はろくに寝ていない様子だった。
突然の休暇の申し出に、どんな顔をされるだろうと思っていたのに。
「いえ、二日くらい……土日入れて、四日ほどあれば。本当にいいんですか?」
「ウチはいつだって忙しいんだし、気にしてたら休みなんか取れないわよ。でも、聞いていい? 旅行?」
相川さんは、気遣うように私の目をのぞきこんだ。
そんなふうに見られたせいで、用意していた言訳が、いきなり頭からすっぽり抜け落ちてしまった。
「旅行、というか……違うんです。本当は、事故で行方不明になって、実は生きていた人に、会いに」
「……まさか、あの話?」
数日前の会話を思い出したらしく、ほっそりした指を、頬に当てた。
こんなに忙しい時でも、その爪は少しだけパールの入った上品な色で完璧に仕上げられていて、何事にも手を抜かない彼女の几帳面さが、よく分かる。
「というと、ええと、オーストラリアか。時差ないから電話できるね。ちょっと予定と行き先教えて?」
緊急時の連絡先でも知っておきたいのかな、と思いながらメモ用紙に書いて渡すと、相川さんは何本か電話をかけたあと、私の方へ向き直った。
「この人が空港へ迎えに来るから、その町まで運転手してもらって。気にしなくていいわよ、リタイアしててヒマな人だから」



「イヤだ」
口をへの字に曲げて、夏生が言い張った。
私も夏生も、手荷物として持ち込める小さなキャリーバッグひとつしか持っていないために、荷物を待たずに到着ロビーへ出られたはずが、夏生がゴネはじめたせいで税関を前にしてモメていた。

相川さんに渡された紙には、蒔田雄人という氏名と、住所と電話番号が書かれていた。
この人がカウラまで送ってくれるから、と言うと、夏生は絶対に嫌だと言い張った。
青白い顔をしていたくせに、食事を除いたシドニーまでの10時間、眠り続けて復活したらしく、しゃんとした顔つきになっている。
「レンタカー借りて、おれが自分で運転する」
と言ってきかない。

隆明さんが現在暮らしているカウラという町は、シドニーから300キロほど西にある。
他の交通手段もあるにはあるけれど、この余裕のない日程では時間が合わないので、車をつかうのが一番手っ取り早いのだ。
そもそも、隆明さんの家族の「迎えに行きましょう」という申し出を断ったのは、夏生自身だった。
なんでも、まだホンモノと決まったわけではない人物と、馴れ合ったりはできないのだとか。
……ホントに意固地な男だ。
「運転するって言ってもねえ、四時間くらいかかるよ。慣れない道に慣れない車じゃ、疲れるでしょ。せっかく相川さんがお願いしてくれたんだから、甘えようよ」
なだめるように私が言うと、夏生は反応した。
「相川……? デ、デ、いや小太りのアレじゃなくてか?」
デって何だ。
「なに言ってんの? 相川さんはウチの課の相川美穂さんだけど? 話したことなかったっけ?」
相川さんの武勇伝なら、夏生にたくさん聞かせたような気がするけど。
「いや、思い出した。そうか。デ……なんでもない。ならいい、行くぞ」
「デって何よ?」
私を無視して、夏生はさっさと歩き始めた。
まだ外気にふれていないというのに、息をすると、なんとなく夏の気配がした。

ここは南半球、今は夏なのだ。

 
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