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●  まるで愛のような --- 7  ●

目指す川島家は、坂を上りきったところに建っている。

冬にしては日差しのあたたかい、日曜日の昼下がり。
蓉子先生の家へ行くからと言うと、うちの母親に
「おすそわけだから、ちょっと持って行って」
と紙袋にリンゴを詰められた。ちょっとどころか20個も入れられて、ずしりと重い。
気合をいれて坂を上って行くと、アーチ型の門の前に蓉子先生の青いゴルフが停まっていた。その横に片膝をついた夏生が見える。
夏生、と声をかけた。

「なに、どうかした?」
「んー。買い物行って、停めてる隙にヤラれた」
眉間に皺を寄せた夏生が指差すところを見ると、ドアの下の方に、小さいけれど深い傷跡が残されていた。
クギか何かで引っ掻いたらしく、塗装が剥げたところが、白い筋となって目立っている。
「ひどいねえ。こんなイタズラして、いったい何が楽しいんだか」
憤慨して私が言うと、夏生は馬鹿にしたようにフンと笑った。
「そりゃ、楽しいだろ。頑張って良いことしたって、世の中報われることなんてめったにないけどな、悪事の場合だと、小さいことでもこうしてハッキリ結果が出るわけだ」
「……あんたときどき、ものすごい暗いこと言うよね……」
いつもそんなことを考えているんだろうか。心配だ。
「べつに暗くねえよ。おまえがノンキなの」
大きく溜息をつくと、諦めたように夏生は立ち上がった。
「おまえさ」
なんとなくタイミングを失って黙っていると、背を向けた夏生が言った。

「おれが先に隆明に会いに行って、やっぱり別人でしたって言ったら、信じるか?」
突然の問いかけに、私は驚いて、その背中を見つめた。
背を向けた夏生が、手を握ったり、開いたりするのが見えた。

「おれはつまんない奴なんだよ。隆明が生きていたって、全然よろこべない。おまえやおばさんは、何年経ったって結局は隆明がいいんだって、そんなことでいちいちひがんでるような、小さい奴だ」
いつもとは違う、抑えた低い声で、早口に言い切った。まるで自分の言っていることを、聞きたくないというように。
「夏生」
私はぼんやりと夏生の背中を見ながら、細い肩だなあ、と思っていた。
隆明さんとは従兄弟なのに、まるで似ていない。
そうやって夏生は、ずっと私や蓉子先生を守ってきたつもりだったのだ。

「信じるよ」
「ムリすんな」
振り向いた夏生の口元に、皮肉な笑みが浮かんでいた。
「……信じるよ。そんなふうに、試さなくても」
久しぶりに、まっすぐに夏生の目を見た。
私を試す必要なんかない。
夏生が意地の悪いことも、ひがみっぽいことも、でも結局はひどいことなど出来ないことも、知っているから。
「だから、一緒に隆明さんに会いに行こう」
「え……? 行くっておまえ、本気か?」
いつも斜に構えた夏生がうろたえるのを、久しぶりに見た。
「言っとくけど、シドニーからすごい遠いぞ。だいたいおまえ、この前まで死人みたいな顔してたくせに、なにをいきなり……。それに」
言いにくそうに、言葉を切る。
「あいつが隆明だとしても、俺たちのことは覚えてない。事故の後遺症だと思う」
「いいよ別に。思い出話をしに行くわけじゃないし」
「いいって、そんな。それじゃ……何をしに行くんだ?」

困惑した夏生の顔を見て、いつのまにか自分がほほえんでいることに気が付いた。

何年も隠れるように生活していた隆明さんが、今になって自分の過去を取り戻そうとしているのには、理由があるはずだ。
おそらくは――今の、家族のためなのだと思う。
「助けに行こう。隆明さんが困っているみたいだから、力になろうよ。昔のよしみで。だいたいねえ、いつまでも戸籍のない不法就労者じゃ、奥さんに捨てられちゃうかもしれないじゃない? ね、一緒に行こうよ」

私が差し出した手を、呆れたように夏生が見る。
「昔のよしみって……アホか。お人好しが」
夏生が私の手をつかんだ。つめたい指だけれど、あたたかい気持ちになった。
隆明さんとは、二度と同じ時間へ戻って行けないけれど、それでいい。


最後の旅は、そうして始まった。

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