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●  まるで愛のような ---  ●

隆明さんには、お墓がある。


蓉子先生と夏生が、オーストラリアから持ち帰った、海岸の砂が、遺骨のかわり。
事故で落水したと思われる地点から、一番近い海岸を選んで採取したのだそうだ。
「海水の方が、雰囲気出たかもな」
当時まだ高校生だった夏生が、疲れたように苦笑したのを、おぼえている。
砂を入れた骨壷は、川島家代々の墓に納められ、今もひっそりとそこにある。


「オーストラリアのレースっていうと、あれ? 年末にシドニーからホバートまで行く……」
「相川さん、ヨットにくわしいんですか?」
アメリカズ・カップは有名でも、シドニー・トゥ・ホバートは、日本ではあまり知られていないはずだ。実際に隆明さんが参加したのは、その前座のような小さな大会だったのだけれど。
さすが、と感心しながら四個目のダンボールを台車に積み上げる。ペンを片手に、書類保存箱に貼られた管理番号をチェックしていた相川美穂さんは、顔の前で手をふった。
「ぜんっぜん。アタシ泳げないもん」
泳げないのは、関係ないような……。

しんと静かな、会社の書庫室で、ふたりきりで監査法人へ提出する書類を選び出している時だった。
税務にも法務にも詳しい彼女に、つい聞きたくなってしまったのだ。

海難事故で死亡届が受理されているひとが生きていたら、どうしたらいいのかと。

相川さんはサバサバした口調で、「別れた旦那が、大学のヨット部だったのよ」とだけ付け加えた。
アシスタントとして付くようになって一年になるが、相川さん本人の口から、離婚した夫の話が出たのは、これが初めてだった。
「泳げないなんて意外ですねえ。相川さん、三キロくらい平気でバタフライしそうなのに」
「ちょっとー」
沈黙をおそれて軽口をたたくと、相川さんは口をとがらせて、笑った。
本当にそれくらいパワーのある人なのだ。ほっそりと華奢で、年齢不詳なお人形のように可愛らしい外見からは想像しにくいけれど、朝から晩まで仕事に追われ、休日出勤も当たりまえにこなし、大変な酒豪で、どんな時でも手入れの行き届いた髪をしていたりする、不思議なひとだ。


私が入社したのは、ここの商社の関連の事業会社だったのだが、いつの間にか出向扱いで、こちらの法務部へ配属されてしまった。
法律には何の縁もない私が、なんでまた、と首をひねったものだ。
来てみれば、おどろくほど少数で多くの仕事をまわしているチームで、雑務をこなしていた派遣社員が、次々と倒れて辞めてしまったのだそうだ。
能力ではなく、体力を見込まれたに違いない。


「そういう案件は専門外ねえ。死亡届が受理されてたって、戸籍は回復できると思うけど。そもそも本当の本当にホンモノなのか、そっちのほうが気になるかな。それ何かのドラマの話?」
相川さんはそう言うと、腕時計を見やった。
「わ、ごめん。もう外出しないと。これ運んでおいてくれる?」
「はい」
「あ、そうそう」
出て行きかけて、相川さんが慌てて戻ってきた。
「塚田くんから、メール来てたんだった。こっちに顔出すから、お昼いっしょにどうかって。うんとおいしいものでも、おごらせてやって」
「え? ちょっと」
あいかわさん、と呼び止めたが、彼女は風のように走り去ってしまっていた。
首からぶらさげた、社内用のPHSが唸り声を上げたのは、その時だった。
「はい」
「貴子ちゃん? おい、俺だよ俺。鳴沢だけど、分かる?」
電話越しの声は分かりにくかったけれど、名前ですぐにピンときた。
「鳴沢さん? わー、ひさしぶり。よくここの番号が分かったねえ」
懐かしくて、子供のように声が弾んだ。
鳴沢さんは、隆明さんの大学時代の友達だった。私と夏生を、よく海へつれて行ってくれたりして、たくさん遊んでくれた人だ。
「いやー、調べたよ。夏生のやつが、ぜんっぜん教えてくれなくてさ。おれ今日はじめて聞いたんだけど、隆明が生きてたって話、どういうわけよ? 本当に確かなのか? どっから出た話なんだ? なんで8年も隠れてたんだ? しかもアイツ、子持ちになってるんだって?」


最後の言葉が、意外なほど、ぐさりと胸に突き刺さった。


8年は長い。


ひとりの人間をまったく変えてしまうくらい、長いのだ。


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