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●  まるで愛のような --- 2   ●

夏生の弾き方は、すぐに分かる。

乱暴なのだ。

一音二音外しているくせに、まっすぐに躊躇なく駆け上がっていく、スケルツォ。


「貴子ちゃーん、卵どうする? 焼くのでいい?」

ほがらかな声がした。
がっと跳ね起きると、そこは光あふれる川島家のサンルームだった。
……どうして、ここに。
「蓉子先生……」
白いレースのエプロンをつけた、やさしげな中年女性がのぞきこんでいる。
隆明さんのお母さんの、蓉子先生。
「あら、どうしたの? 昨夜ナッちゃんを引きずってここへ来たの、忘れちゃった?」
「わたしが……?」
「そうよー、力持ちなのよねえ、貴子ちゃんて。なんだかマタギみたいで格好よかったわー」
なんだそれ。
聖母のようなほほえみを浮かべた蓉子先生と、そのむこうのグランドピアノに、立ったままの夏生の背中が見える。
いつのまにか見覚えの無いパジャマを着て、私はひとさまの家のソファーで泥のように眠り込んでいたらしい。痛む頭に手をやると、なんだかやけに髪がボサボサだった。
「何か食べられる? 持ってくるから、顔を洗っていらっしゃいな」
歌うように言って、蓉子先生の足音がぱたぱたと遠ざかる。

ぐるりと部屋を見回した。変わってない。掛かっている絵も、壁紙も。レッスンが終わったあと、よくここで隆明さんと夏生と、好きな曲を弾いて遊んだものだ。隆明さんは器用で、アニメソングをアレンジして荘厳な曲のように仕上げたりして、私たちを笑わせるのが上手だった。

そもそも私が蓉子先生のピアノ教室へ入れられたのは、当時とんでもない乱暴者で、幼稚園を退学になりかかっていたせいらしい。情操教育に悩んだ母が、近所の蓉子先生に相談したのだそうだ。夏生はといえば、蓉子先生の妹さんの息子で、お母さんは病気がちな下の弟の看病で忙しいらしく、いつもここへ預けられていた。

そんなこともこんなことも、当時の私たちには全く関係ない話で、ここの一人息子の隆明さんを取り合って、ケンカばかりしていた。
優しい蓉子先生と、頼もしい隆明さんに守られて、何の心配もない毎日だった。

「いてっ」
後ろから、無言で夏生の足を蹴飛ばすと、ピアノの音が乱れて、とまった。
「へったくそ」
「蹴るかよ、おまえ、24にもなるオトナの女が……」
口惜しそうに蹴られたところをさする夏生は、着替えも済ませ、やけにさっぱりした顔をしている。
思い出した。アルコール度数50度もある酒をあおってつぶれた夏生をタクシーに押し込んで、どうにかここまで連れてきたのだ。自分まで世話になる予定ではなかったのに、力尽きてしまったらしい。
あと100メートル歩けば、自分の家にたどりつけたというのに、外泊してしまった。

「蓉子おばさん、嬉しそうでさ。朝から隆明の話ばっかりしてる」
ピアノによりかかり、ぽつりと夏生がつぶやいた。
「まあ、そうでしょうね」
なんとも言いようのない気持ちで、私はガリガリと頭をかいた。
シャワーを借りたまではよかったけれど、髪を乾かさないうちに眠り込んでしまったらしい。
ヘンなところが跳ねて、滑走路みたいになっている。会社へ行く前に、直さないと。
だいたい私の荷物はどこへ行ったんだっけ?
「貴子、おれさ」
「うん」
「聞いてんのか」
「聞いてるよ。夏生、そろそろ出ないと仕事に間に合わないんじゃないの?」
「……おまえ、平気なの?」
ほんの少し傷ついたような顔で、夏生が私を見た。責めるように。

平気なの?

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