BACK | NEXT | INDEX

●  まるで愛のような ---  ●

約束のあの日がやってくる。
   
空港まで見送りに行った私と夏生に、隆明さんは言ったのだ。
クリスマスには帰ってくるから、三人でケーキを焼いて、あの曲をやろう。練習しておけよ。
笑って手を振って、ゲートの向こうへ消えてしまった。
ヨットレースの事故のニュースを聞いたのは、約束の帰国の日の一週間前。
約束は果されないまま、今年もまた、あの日がやってくる。



「貴子」
スーツの上に薄いコートをひっかけて、夏生(なつき)があらわれた。
「悪い。遅くなって」
申し訳なさそうな顔をするでもなく、そう言うと、私の隣に腰をおろす。
時計は9時をまわっていて、沖縄料理を出すこの居酒屋は、今夜も混んでいて賑やかだった。
「焼酎飲んでんのか? ヌルい! 泡盛いけ、泡盛」
私の手の中のグラスに顔を近づけて中身を嗅ぎ分けると、勝手に泡盛を注文してしまう。
いつもの夏生だ。
痩せて神経質そうな子供だった夏生は、世慣れた社会人に成長していた。
広告代理店で何をしているのか知らないが、仕事のグチをまったく言わないかわりに、皮肉な笑いを浮かべるようになった気がする。
業種柄、いつもカジュアルな服装の彼が、珍しくネクタイをしているところを見ると、どうやら大事な用事でもあったようだ。
「ごめんね。忙しいとこ呼び出して」
口の端を上げてみたけれど、笑顔に見えているかどうか自信がなかった。
カウンター席で助かった。どういう顔をしていいのか分からなくて、頭痛がする。
「なに気持ちわりいこと言ってんだよ。どうせおれは一年中モッテモテで忙しいんだから気にすんな。ほら、酒でもついでおれさまの労をねぎらえよ」
「あー、はいはい」
夏生は横柄に振るまうことで、相手に気をつかわせないようにするのが上手だ。
こんなふうに優しくなったのは、隆明さんの事故死のせいだろうか。
「で、どうしたよ。おまえ顔色悪くないか? また変な男につかまってんじゃないだろうな。ほら、あの同期の小林とかいう小太りな……」
「小太りは関係ないでしょうが。だいたいアンタが痩せすぎなのよ。小林君とはもう連絡とってないし」
「んじゃアレだ、塚田とかいう、目がたれてて小太りな……」
「だから小太りはほっといてよ。塚田さんは変な男じゃあーりーまーせーんー!!」
耳をギュッと引っ張ってやると、夏生がゲラゲラ笑い、聞いていたらしいカウンターの店員も一緒になって笑った。
胸の奥が、ふわりとあたたかくなった。
これから言う言葉をを告げずに済むなら、どんなにいいだろう。
言ってみれば私たちは、隆明さんの死を、二人で乗り越えたようなものだ。
ふしぎなもので、それまで険悪だった夏生と私は、だれより近い関係になった。
こんなふうにくだらない話で笑えるようになるまでに、夏生は一体、どれほど努力したのだろう。
「あのね」
覚悟を決めて、私は切り出した。
「んー?」
眠いのか、目をこすりながら、グラスを片手に夏生が聞き返す。
「隆明さんのことなんだけど」
「ああ、時期だよなあ。年末進行なんだけど、半日くらい取れるから、墓参りがてら、あそこんちに遊びに行くか?」
「そうじゃなくて、ええと、なんていうか……隆明さんが、生きていたみたいなの」
するっと音もなく、夏生の手からグラスが滑り落ち、ゴッという鈍い音をたててカウンターに着地した。


悲劇が喜劇に変わった瞬間だった。


BACK | NEXT | TOP
Copyright (c) 2006 mana All rights reserved.
 

-Powered by HTML DWARF-