PREV | NEXT | INDEX

Letters

 次の日の朝。
「志村、電話が鳴ってるぞ」
「……誰だよ」
 もぞもぞと布団の中から手を伸ばす。
 ディスプレイには090から始まる番号しか出ていない。俺はこう見えて、番号を交換した相手はちゃんと名前まで登録する。漢字の変換が面倒くさいのでカタカナでだが。それすらしてないってことは――。
「……もしもし?」
「あんたたち、いつまで寝とうと?」
 やっぱり昨日の暴力女だ。
「永、いま何時?」
「七時半」
「オヤスミ」
 電話を切ってサイドテーブルに放り出す。バカヤロウ、俺は休みの日は九時まで起きないと決めてるんだぞ。
「おい、誰からだ?」
「昨日の女。こんな朝っぱらに電話してくるなんて、なに考えてんだ」
「……確かに約束までは結構あるけどな。志村、電話借りるぞ」
「どーぞ」
 布団をかぶってるので見えないが、永ちゃんが充電器から携帯電話を外しているのが分かる。そのまま足音を忍ばせて(起きてるからまるっきり無意味なんだが……)部屋を出て行く。
 そもそも、あの女と番号交換なんかする羽目になったのは、永ちゃんが携帯電話を持っていないからだ。
 見た目は――ちょっとばかり可愛いから、最初はまんざらでもなかったことは認める。
 だが、それもあの女が「あんた、夜中に妙なイタズラ電話とかせんとってよねー」とほざくまでの話だった。誰がおまえのパンツの色なんか聞くか、アホウ。
 永ちゃんはしばらく戻ってこなかった。
 腹が立つと眠れなくなる。別に俺だけじゃないはずだ。ベッドの上でゴロゴロ転がったり、タバコに火をつけてボーッとしてるうちに20分近くたっていた。たかが電話で何分かかってんだろ。
 ドアが開く音がした。
「おー、永――って、あれ?」
 入口に立っていたのはあの女――榊原真奈だった。
「なんで……おまえが?」
 俺は裏返りそうになる声を何とか抑えた。
 サックスブルーの男物っぽいシャツにウェスタン調のスエードのベスト、膝丈よりちょっと短いデニムのスカート、革のロングブーツ。どれもスラッとした身体にピッタリとフィットしている。昨日の制服姿も悪くなかったが、これもかなりのものだ。
 入っていいと言った覚えはないのに、真奈はズカズカと部屋に入ってきた。
「呼びにきたんよ。朝ご飯食べてさっさと出発せんと、朝倉までけっこうあるっちゃけんね」
「へえ、そう」
「ほら、さっさと起きんね――ってあんた、いくら男同士やけんって、その格好はないやろ?」
 確かに俺は寝るときはタンクトップとトランクスしか着ない。パジャマってやつが苦手なのだ。
「それがどうかしたのかよ。俺の勝手だろ?」
 頭を掻きながらベッドの上で胡坐をかいた。真奈がいきなり目を剥いた。
「ちょっと!! あんた、パンツいっちょで脚とか開かんでよッ!!」
「別にいいだろ、それくらい」
「粗末なモンが丸見えになるやろうがって!!」
「はあッ!?」
 何を言い出すんだ、このバカ女は。
「……だ、誰が粗末なんだってーの。おまえ、見たわけでもねーくせに、テキトーなこと言ってんじゃねえよ」
「そんなん、見らんでも分かるって。どーせ、自慢げに見せびらかすサイズじゃなかろーもん」
「うっせえよ。おい、見せるなって言うんならジロジロ見んな!!」
「誰も見とうて見よらんって。はよ、脚閉じんね!! 目が腐ったらどげんしてくれると?」
 くそっ、言うに事欠いてなんてこと言いやがる。
「着替えるからあっち向いてろ、このエロ女」
「誰がエロ女ねって。あんたみたいなヒョロヒョロしたカラダ見たって、興奮とかせんよ」
「――ぐっ」
 立ち上がって、部屋の隅のソファーに放り出してあったトレーナーとジーンズを身に着けた。真奈はその間は礼儀正しく目を外していた。
「永は?」
 長らく愛用してるジーンズの滑りの悪いファスナーと格闘しながら聞いた。
「下のビジネスコーナーで待っとるって」
「ビジネス?」
「インターネットとか、そんなんがあるとこ」
「なにやってんだ、あいつ」
 好きでも得意でもないと言いながら、永ちゃんはパソコンについては一通りのことができる。それに限らず、必要に迫られれば何でも覚えてしまうのだ。
「よう、どんな画面見てた? ウィキなんとかっていうサイト?」
「……知らんよ、そんなん」
 なんだ、今の間は?
「調べものとかしてたんじゃねえのかよ」
「やけん、知らんって言いよろうが」
 俺はこの女が好きじゃないが、たった今、俺と共通点があることを見つけた。
「はっはーん?」
「……なんね、いきなり?」
「おまえさ、コンピュータとかネットとか、そういうの苦手だろ?」
 真奈はビックリしたように俺の顔を見返してまばたきした。俺は薄笑いでそれに応えた。意外と分かりやすいな、こいつ。
「なんで、そがんこと言えるとね?」
「他のことだとムカつくくらい自信たっぷりなのに、今、すっげえ自信なさそうだったからだよ。それにおまえ、俺と同じニオイがするもんな」
「ニオイ?」
「そ。お勉強が出来ない子のニオイってやつ?」
 真奈の顔はすでに真っ赤になっていた。目も見る見るうちにつり上がっていく。なのに、何も言い返せないでいる。
 図星だからだ。
「ふんっ、余計なお世話ったいね。だいたい、あんたにおまえ呼ばわりされる覚えとかないっちゃけど?」
「俺だって、あんた呼ばわりされる覚えねーよ」
「せからしかって。着替えたんやったらさっさと降りるよ。あ、向坂くんが朝食ビュッフェのチケット持ってきてって言いよった」
「チケットって――ああ、これな」
 テーブルの上にそれらしい紙切れがあった。しかし、俺は”あんた”なのに永ちゃんは”こうさかくん”か。なんだ、その扱いの違いは?
 ルーム・キーとチケットを手に部屋を出た。
 宿泊客でもないくせに、真奈は俺の前を引率でもするようにさっさと歩いていく。何か言ってやりたいが言葉は浮かんでこない。
 認めたくないが、外見は――外見だけは俺のストライク・ゾーンのど真ん中なのだ。
 これで性格さえ良かったら、もう何も言うことはないだろう。が、世の中はそんなに甘くない。こんなクソ生意気な女なんかと付き合ってたら、そう遠くないうちにこめかみ辺りの血管がブチ切れるに違いない。
 どうして天は二物(この外見と可愛らしい性格)を与えなかったんだろう。
 エレベータに乗り込んで、そんなことを考えながらこいつの後ろ姿を眺めていると、真奈は唐突に振り返って「なん、ジロジロ見とうとねって、このスケベ!!」と言い放った。
 いくらカッとなったからって、女に殴りかからないくらいの理性は俺にもある。なので、俺は小声で「見てねえよ」と答えるだけにした。
 それから禁煙の表示を無視してタバコに火をつけた。頭にのぼった血の行きどころを拳以外に求めようとすれば、他にはため息くらいしか思い浮かばなかった。
 まあ、手を上げたところで返り討ちにあうかもしれないが。
 


PREV | NEXT | INDEX

-Powered by HTML DWARF-