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「――へえ、大変やったね」
 女は俺たちの席にウーロン茶を運んできて、そのまま永ちゃんの隣に座った。俺たちが向かい合って座ってるので仕方ないけど、この女はどっちに座るかまったく迷わなかった。
 別に隣に座って欲しかったわけじゃないが、ちょっとムカつく。
 こいつのバイト先だというこの居酒屋は天神西通り沿いのビルの中にあった。
 白木作りのちょっとお高そうな店構えで、客もサラリーマンの中でも比較的ランクの高そうな連中で占められている。俺たちみたいな高校生が出入りできるような店とはとても思えなかったが、女が「大丈夫って。ちゃんと予算内に収めてあげるけん」と自分の店みたいなことを言って引っ張ってきたのだ。
 俺と永ちゃんは同時にウーロン茶を口に運んだ。グラスが気持ち良さそうな汗をかいていて、永ちゃんの喉も気持ち良さそうに上下している。
 ほぼ一息に飲み干して、永ちゃんは年寄りくさい「ふぅーっ」という細い息を吐き出した。
「君のおかげで本当に助かったよ。えーっと、まだ自己紹介もしてなかったね。俺は向坂永一。こいつは――」
「志村正晴」
 自分で名乗った。普通にしゃべろうとするが、どうしても拗ねているような感じになる。
「アタシは真奈。 榊原真奈 さかきばらまな
 女は俺の様子なんかまるで気にせずに屈託なく笑った。
「強いんだな、君は」
 永ちゃんは心の底から感心しているようだった。
 認めたくないが、こいつの戦いぶりは圧巻だった。
 特にバリエーション豊かな蹴り技はとんでもない。左右のミドルをまったく同じように蹴れるだけでも大したものなのに、ミドルに見せといていきなりハイに軌道を変えるなんて高等技まで使いやがった。そんな蹴り、男でも使える奴はそうはいない。
 さらに、こいつのすごいところは蹴りだけじゃない。接近戦での腕の使い方がおそろしくこなれているのだ。殴りかかってくる腕を取って反撃させないまま掌底で顎を打ち抜いたり、相手が飛び込んでくるタイミングにあわせて腕を突き出して牽制して、視界の外からハイキックを叩き込んだりしていた。
 単に空手ができるってだけじゃない。人数に囲まれた状況で冷静に一人ずつ確実に仕留めていくなんて、相当な場数を踏んでなきゃできない芸当だ。
「別に大したことなかよ。あいつらが弱っちかっただけやん。ちょっと手加減したくらいやもん」
 女はカラカラと笑う。
「どこがだよ。最後のやつなんか思いっきりフライング・ハイキックぶち込んだくせに。おまえはレミー・ボンヤスキーか」
「ああ、あれ? キレイに決まったけん、アタシもびっくりした」
「後頭部に入ってたぞ。死んだらどうすんだ」
「だいじょうぶって。あいつら、頭が悪い分だけ、身体は丈夫にできとるけんね」
「そーゆー問題じゃねえだろ」
 俺のプライドは少なからず傷ついていた。
 まだ身体の小さかった中坊の頃ならともかく、ある程度ガタイが良くなった今では、まず喧嘩で負けることなんかない。永ちゃんがうるさいのでそういう素振りはしないことにしてるが、腕にはかなり覚えがあるのだ。
 しかし、この女はそんな俺ですら二の足を踏んだあの人数のガキどもを、あっという間に薙ぎ倒してしまった。
「俺一人でもやれたんだ」
 永ちゃんは横目で俺を睨んだ。
「志村、助けてもらってその言い草はないだろ」
「だってよ――」
 口喧嘩ならともかく、殴り合いの喧嘩で女に助けられるくらいみっともない話があるもんか。
「まあ、そがん気ば落とさんでよかよ。この子は普通の女ん子と違うけんね」
 料理を運んできた下膨れのおっさんが口を挟んだ。
「ちょっとオーナー、それ、どがん意味!?」
「うへっ」
 額をぱちんと手のひらで叩いて、おっさんはトレイで運んできた皿をテーブルに並べた。煮物が入った小鉢と刺身の盛り合わせ、ボウルに入った海鮮サラダ、白身魚の揚げ物。女が「運動して腹が減った」と言ってたせいか、丼メシもついてきてる。もちろん、こいつの分まで。
「あと、焼き物とあら炊きがあるけんね。それとデザート」
 何だって?
 俺は素早く壁に掛かってるお品書きに目を走らせた。同じものが出てきてるのかどうかは分からないが、そうであればテーブルに並んでる分だけで軽く予算をオーバーしてしまっていた。
 永ちゃんに目配せすると、さすがにちょっと不安そうな顔をしていた。
 女――真奈は気にする様子もなく小皿にサラダを取り分け始めた。自分の分かと思ったら、こいつは小皿を永ちゃんに手渡した。受け取りながら永ちゃんが目で「大丈夫なのか?」と問いかける。女は「ん?」と小首を傾げた。
「ああ、払いのことは心配せんでよかよ」
 不安が伝わったらしく、おっさんが声をひそめた。
「真奈ちゃんの友だちが遠くから遊びに来たとに、そん子らからカネとかとれんって。心配せんでよかけん、腹いっぱい食べんね」
「はあ……」
「オーナー、アタシ、サザエの壷焼食べたい」
「それは真奈ちゃんのバイト代から天引きしてよかとかな?」
 おっさんが意地悪そうに目を細めると女がむくれた。永ちゃんは世にも珍しいことにそれを見て笑っている。俺はそんな様子を他人事のように眺めながら、刺身を何切れか乱暴に醤油につけて口に放り込んだ。
 俺たちはいつの間にこの暴力女の友だちになったんだろう。あと、なんで九州の醤油はこんなに甘いんだろう。


 階段を降りながら、俺は腹をポンポンと叩いた。
「ふうー、食った食った」
「文句タラタラやったわりには、あんたが一番食べとうよね」
 女が笑う。
 通りに出ると思い出したように寒さが襲い掛かってくる。
 もし食べた分をちゃんと払っていたら、俺たちの財布もそうなるはずだった。勘定をしてもらってるとき、レジのデジタル表示は予算の軽く5倍の数字を叩いていたからだ。女は「それをいったい誰が食うんだ?」と聞きたくなるほど追加オーダーをしやがった。
 それをおっさんは「一人1000円でいい」と言った。ありがたい話だが、そんなことをしていて店の経営が大丈夫なのか、俺でさえ少し気になる。
「これからどうすっと?」
 女は永ちゃんに聞いた。おい、俺は無視か。
「君は?」
「アタシはもう帰るだけ。だいたい、今日もバイト代の受け取りに来ただけったいね。今どき、振込みもしてくれんっちゃけん、呆れるよね」
「でも、手渡しのほうが『ああ、今月も頑張った』って気にならないか?」
「それはまあ、そうなんやけど」
 同じくバイト生である永ちゃんはその辺の気持ちが分かるらしい。俺にはよく分からない。
「俺たちもさっさとホテルに帰るよ。さっきの連中と鉢合わせはカンベンしてもらいたいし。それに明日は朝が早いんだ」
「どっか行くと?」
「墓参りに朝倉市ってとこまで」
 歩きながら永ちゃんは福岡に来る羽目になったいきさつとか、自分が面識もない祖母さんの兄さんの墓参りに行こうと思った理由を話した。
 ちょっと――いや、かなり驚いた。
 普段よりもよくしゃべるなとは思っていたが、まさか、知り合ったばかりのこの女にそんなことまで話すとは思ってなかったからだ。旅先の魔力ってやつなのかもしれないが、前を並んで歩く二人はずっと前からの気心の知れた幼馴染のようにしっくりきていた。
「それやったら、アタシが車で連れていっちゃろうか?」
 女が言った。
「君が?」
「うん。アタシ、明日は別に予定とかなかし。電車で行ったらむちゃくちゃ時間かかるよ?」
 同じことは女弁護士も言ってた。列車もバスも本数が少ないので、もし乗り遅れたりしたら駅で一時間待ちは当たり前らしい。しかも、駅の周りに時間を潰せそうなところもないそうだ。
 それでも、この女に甘えるのは気が進まなかった。
「おまえ、学校どうすんだよ。明日は平日だぜ」
 女は俺をチラリと睨んだ。
「アタシ、今年卒業やもんね。そうやないなら車でとか言い出すわけなかろ。人の話、ちゃんと聞きよる?」
「んだと?」
「志村」
 永ちゃんが静かな声で言う。
 俺はこの声に弱い。自分より背が低い相手に首根っこをつかまれた気にさせられるのは、この世で永ちゃんだけだ。
「だってよ――」
「いいから。えーっと、榊原さん」
「真奈でよかよ。苗字で呼ばれると、慣れとらんし」
「じゃあ、真奈ちゃん。お言葉に甘えさせて貰ってもいいかな?」
 俺はもう一度、心の底からビックリした。いくら旅先とはいえ、この男が誰かの好意に甘えることがあるなんて――。
「いいだろ、志村?」
「……ああ、永の好きなようにしろよ」
 それだけ言うのが精一杯だった。
 

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