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Letters

3

「で、メシはどこにするよ?」
 永ちゃんが呆れたような目を向けてきた。
「もう腹が減ったのか?」
「あれじゃ足りねえよ」
「まあ、そうだな」
 駅に着いてすぐにラーメンは食べたが、極細の麺はあんまり腹に溜まらなかった。永ちゃんによると博多ラーメンはがっつり一食というよりは間食なので、そんなに量が多くないんだそうだ。だから替え玉というシステムがある。
 調べたのかと聞くと「常識だ」という返事が返ってきた。どこら辺の常識なんだろう。
「とにかく、店を見て回ろうぜ。――って、イテっ!!」
 永ちゃんのほうを向いていた俺の背中にドンッと衝撃が走った。
 振り返ると、ヒップホップ系の格好をしたガキが二人、スケートボードを手に公園の真ん中のほうに歩いていくところだった。俺は奴らの通路に立ってたらしい。
 日本中どこに行ってもこの手合いは変わらない。何も考えてなさそうな顔で目つきが悪く、口はうすく半開き。ガキのときからタバコを吸ってるせいか、あんまり発育も良ろしくない。タバコに関しては俺みたいな例外もいるが。
「……おいコラ。人にぶつかっといて、ゴメンもなしか」
「なんて?」
 俺に近いほうにいたボウズ頭が振り返った。俺の胸くらいまでしかなくて、あっちは見上げるような形になる。それが余計にコイツの敵愾心を刺激したらしかった。
「おい、志村」
「分かってる。こんなアホどもを相手にするほどヒマじゃねえよ。おい、一言謝って、さっさと行っちまえ」
「キサンッ、なん、チャーつけとうとやって」
「はあ?」
 何を言ってるのか分からない。最近はテレビで博多弁を聞くこともあるが、あれはネイティブな博多弁じゃないのだとクソ親父のボディーガードの一人(福岡出身)が言ってた。
 それで思い出した。「キサン」は「貴様」の訛った発音で博多弁の喧嘩の常套句だ。興奮して言い合いになるとこれが言葉の頭かケツにつくので、博多っ子の喧嘩は「貴様ん」の応酬になるのだという。傍から見てるとかなり笑えるとボディーガードは言ってた。
 当事者にとっても笑えるかどうかはともかく、一つだけハッキリしたことがある。俺は喧嘩を売られているのだ。
「――志村」
「すぐ終わる。ちょっと待っててくれ」
「なんてやッ!?」
 俺は有無を言わさずにボウズ頭の顔面に右ストレートを叩き込んだ。身長差があるので打ち下ろしになった。自分でも惚れ惚れするようなチョッピング・ライトだった。グニャリという手ごたえがして、ボウズ頭の鼻の穴から盛大に鼻血が噴き出した。
「ふぐッ!!」
 ボウズ頭が呻く。そのまま一歩踏み出して膝の前を蹴る。バランスを崩して後ろにたたらを踏んだところめがけて、どてっ腹に蝶野正洋ばりのケンカキックをお見舞いした。
「貴様んッ!!」
 後ろの連れが声をあげる。そこにボウズ頭が突っ込んで、支えようとしたそいつごと後ろにひっくり返った。
 止めを刺してやろうかとしたとき、公園の真ん中でスケボーをやってた連中がこっちを向いた。
「オイッ、貴様ん、なんしよーとやってッ!!」
 どうやらこの二人の仲間らしい。

 ――まずいな。

 一人一人は相手にならないが、数で囲まれるのはあまりよろしくない。こんなところで警察の世話になるのも戴けない。
 となると、選択肢は一つだ。
「永、逃げるぞ!!」
 俺は二、三歩バックステップしてから、振り返って駆け出した。永ちゃんも無表情なままでいっしょに走り出す。あとでこってり説教されるんだろうな。
「くぉら、待てって、貴様んッ!!」
 奴らが追ってくる。誰が待つか、アホウ。
 人数は五、六人。追いかけながら携帯電話を握ってる奴もいる。公園のすぐ裏の建物は駅(そう表示がある)だったので、そっちに逃げ込んだ。
 二手に分かれよう。
 そう言おうとして、ここがホームグラウンドじゃないってことに気づいた。はぐれてしまったら恐ろしくまずいことになる。どっちも逃げ切れれば問題ないが、もし携帯電話を持たない永ちゃんが捕まったりしたら俺は助けに行けない。連絡が取れなくなるからだ。
 とにかく、少々でたらめでも走ることだ。
 永ちゃんが着いてきてることだけ確認しながら、夕方の人の流れを掻き分けるように建物の中を走った。エスカレーターを駆け下りたり、中二階があって構造がよく分からない雑貨屋の中を走り抜けたり、とにかく走った。自分がどこを走ってるのかまったく分かってないけど、そのうちに背後から聞こえていた罵声が聞こえなくなった。
 エスカレータを駆け上がって、ホテルのロビーみたいなやたら広々としたところで俺はようやく足を止めた。
「……永、ここ、どこ……?」
「俺に、分かるはず、ないだろ」
 さすがに息が続かない。春はまだ先だっていうのに汗だくだ。
「志村、頼むから、いい加減に大人になれ」
「喧嘩は、向こうが売って、きたんだ。俺は平和主義者、だよ」
 しばらくその場で乱れた呼吸を取り戻すことにつとめた。
「大丈夫か?」
 同じように深呼吸をしていた永ちゃんは、俺より先に復活していた。
「ああ。永は?」
「おかげで運動不足の解消になった」
「うっわ、皮肉」
「当たり前だろうが」
 そうは言いながらも、永ちゃんは俺のことを心配そうな目で見ていた。この男はこんな状況だっていうのに俺を気遣ってくれる。
「ホテルに帰ろうぜ」
「そうだな。メシはホテルのレストランで食べよう」
 立ち上がって建物から出た。
 頭の中が真っ白になった。方向は反対からだったが、目の前にはさっきの公園が広がっていた。

 ――なんで?

 どうやら俺たちはさんざん走り回った挙句、公園の外をぐるりと回ってきただけのようだった。土地勘があればこんな間抜けなことにはならないが、ここは100パーセントのアウェイだ。
 しかも間の悪いことにドアの外のコンクリートタイルの舗道では、さっきのガキどもが車座のウンコ座りでミーティングの真っ最中だった。
「ふあッ、ひさんッ!!」
 俺が蹴り倒したボウズ頭がこっちを指差した。鼻の穴にティッシュ(たぶん)を突っ込んでるので鼻声になっている。どうでもいいが、人を指差しちゃいけないと親から習わなかったのか、このアホウが。
「逃げるぞ、志村ッ!!」
 永ちゃんの声にも焦りがにじんだ。俺も慌てて建物の中に戻ろうとする。
 でも、ボウズ頭はそれよりも速くこっちに迫っていた。訳のわからない罵声をあげて突っ込んでくる。他の連中もそれに続く。

 ――ちくしょう、覚悟を決めるしかないのか。

 グッと拳を握ったそのとき。
 俺の視界の隅を黒いものが横切った。それと同時にドスッという鈍い音がして、ボウズ頭の身体が見当違いの方向に吹っ飛ぶ。奴はそのまま、舗道の上をヘッドスライディングの見本のように滑って行った。
 止まり際に何かに引っかかって仰向けになったボウズ頭は、見事に白目を剥いていた。
 おい、何が起こった。
「君はさっきの――?」
 永ちゃんが言った。
 視線の先には駅で俺たちが(というか永ちゃんが)博多口はここで間違いないかと聞いた、あの女子高生が立っていた。
「奇遇やね。手が要るんやったら貸すけど?」
 まるで「聞かれたついでに道案内しようか?」と言ってるような気軽さだった。高校生にしては大人びた顔に不敵な笑いが浮かんでいる様子は、何故か、獲物をみつけてほくそ笑む雌のライオンに似ていた。
 

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