PREV | NEXT | INDEX

Letters

2

法律事務所の使いの女はおっそろしく不機嫌そうな顔で俺たちを待っていた。まあ、三〇分以上も遅刻した上に連絡もとれないんじゃ、誰だって機嫌くらい悪くなるだろう。俺だったらとっくに帰ってる。
 車に乗せられて、オフィスがある天神とやらに向かった。
「想像してたよりは都会なんだな」
「そうだな」
 福岡の街並みはきれいで人も車も多い。
 それでいて、あんまりせかせかした感じはしない。前に大阪に行ったときは誰もが前を歩いてる人を追い越そうとしてるみたいだったし、広島は道そのものが狭くて窮屈な感じだった。東京は表面的には整然としてるようで、誰もが周りに向かって舌打ちしてるようなところがある。
 ただ、運転マナーは他の土地よりはるかに悪いかもしれない。迎えの女も大して運転がうまいわけじゃないのに、どんどんレーンチェンジを繰り返して前の車を抜いていく。何より、バスが平気で割り込みをかましてくるのには驚いた。
 福岡城址の近くにある事務所で待っていたのは、高倉とかいうフィリピーナっぽい顔の女の弁護士だった。遠いところをわざわざ、というありきたりな挨拶をして、女弁護士は俺たちを自分の部屋に通した。
 一通りの書類の説明を受けて、永ちゃんは預かってきた委任状を弁護士に見せた。母親の代理人だという証拠だ。
 弁護士は満足そうにうなずくと、書類のハンコをつくところを示した。永ちゃんがそこに丁寧な手つきでハンコを押し付けて用事は終わった。
「祖母の兄――安斎衛さんというのは、どんな人だったんですか?」
 出されたコーヒーをすすりながら、永ちゃんが聞いた。
「どんな人って、あなたのお祖母さまのお兄さんでしょう?」
「そうなんですが、まったく面識がないんで。うちは九州とは縁も所縁もない家系なんです。一族はだいたい、地元にいますし」
「そうだったわね」
 弁護士はチラリと書類に視線を落とした。
「安斎さん兄妹が戦時中、こっちに疎開されてたのはご存知?」
「そうなんですか?」
 いつの話だよ、と思ったが、歳を考えるとそんなことがあってもおかしくはない――ような気がする。
「それで?」
「二人が預けられてたのは甘木――もうすぐ合併して朝倉市になるところの、郷土史家の先生の御宅なの。そこで何か思うところがあったんでしょうね。衛氏はこっちの大学に進学して、そのまま先生の門弟になられたのよ」
「なるほど」
 永ちゃんから聞いた話では、祖母さんの兄貴はほとんど地元に帰ったことはなかったらしい。家族とあんまり折り合いが良くなかったのが原因だという。例外として妹とだけは手紙のやり取りをしていて、それが遠く離れた地に無縁仏の親類がいる手掛かりになったそうだ。
「朝倉っていうのは、どのへんにあるんですか?」
「福岡の中西部ってとこかしら。もうちょっと東に進むともう大分県。それが何か?」
「墓参りくらい行っておこうかと思いますので」
「若いのに感心ね」
 弁護士はデスクの上のパソコンを操作した。永ちゃんを手招きするので俺もその後に続く。画面には福岡県の地図が表示されていた。大雑把にいうとひし形をした土地の、今いる福岡市が左上の真ん中くらい、朝倉市(今はまだ甘木)は真ん中ちょい右下寄りといったところだ。
「地図で見るより辺鄙なところだけどね。交通機関も不便だし。あてはあるの?」
「いえ。でも、時間はありますから」
「だったら、少し待ってて。地図と時刻表を準備させるわ」
 弁護士は電話を取り上げて、秘書(迎えに来た女のことだった)に一通りの準備をするように言いつけた。10分後、相変わらず不機嫌そうな顔の女からそれらを受け取って、俺たちは法律事務所を後にした。


 ホテルにチェックインを済ませてから、渋る永ちゃんをひきずって街に出た。
 若いのにこの男は筋金入りの出不精だ。せっかく来たんだから遊びに行こうと言っても「俺はホテルで休んでる。一人で楽しんでこい」などと平気で言い放つのだ。
「俺が一人で道に迷ってもいいのかよ」
「……志村、おまえ何しに着いて来たんだ?」
 遊びに来たに決まってるだろ。
 口に出すと怒られそうなので、ニッコリと笑ってみせるだけだ。永ちゃんは肩をすくめて少々わざとらしいため息を洩らした。
 俺たちが泊まっている<西鉄グランドホテル>は街のど真ん中にあって、外に出るとすぐに繁華街だった。目の前には3車線の道路があって、そこを東西(たぶん)に車が行き交っている。ラッシュアワーってやつなのか、流れはあんまり良さそうじゃない。辺りはすでに真っ暗で、歩道には屋台らしきものがチラホラ見え始めている。
「なあ、どこ行く?」
「おまえが誘ったんだろ」
「聞いてみただけじゃんよ。テキトーにウロウロしようぜ」
「ああ」
 るるぶに載ってた地図を眺めて大ざっぱな地理は頭に入れてある。そう遠くまでは行けないだろうが、そんなに遠出する必要もない。それに本当に道に迷ってしまったら、タクシーを拾ってホテルの名前を告げればいい。
 ホテルの横を通る<天神西通り>を歩いた。
「あんまり高いビルないのな」
「空港が街の近くにあるかららしいぞ」
「そうなの?」
「ああ。法律で高いビルは建てられないんだそうだ」
 そう言えばクソ親父が何かの仕事で福岡に行ったときにそんなことを言ってた。「啓徳空港並みに街中にあるんだぞ!!」と騒いでいたが、俺は香港なんか行ったことないのでどうスゴイのか分からない。分かりたくもない。
 永ちゃんが「やっぱり土産は買って帰らなきゃならないな」と通りにあったデパートに入った。試食が出ているところでいろいろと吟味して(永ちゃんはこういうところは細かい)からし明太子のパックを二つ買った。一つは母親用、一つは自分用ということらしい。
「おまえも食うだろ?」
 永ちゃんは明太子のパックを入れたデパートの紙袋を掲げて見せた。
「俺の分もあるのかよ?」
「なくたって食うだろ。人のアパートに勝手に上がり込んで」
 大学進学と同時に永ちゃんは一人暮らしを始める。同じ大学にはさすがに進めなかったけど、アパートには遊びに行くつもりだ。
 デパートを出て<きらめき通り>というこっ恥ずかしい名前の通りを歩いた。地下が駐車場になってる大きな公園があって、その隣には神社がある。お参りしていこうと永ちゃんがいうので境内に入った。
 手を合わせる永ちゃんが何をお祈りしているのか、横顔からは読み取れない。特にお祈りするようなこともないので、俺は手を合わせたフリだけにした。
「なあ、ホントにそんな田舎に墓参りに行くのかよ」
 隣の公園に歩きながら聞いた。
「嫌ならこのへんで遊んでていいぞ」
「そんなこと言ってないだろ」
 思うところでもあるのか、永ちゃんはどうも不機嫌だ。
 だだっ広い公園には大きな円形のステージ(だと思う)や池があって、ほとりにはベンチなんかがある。俺と永ちゃんはその一つに腰を下ろした。
「どうしたんだよ、永。お遣いさせられたのが、そんなに気に食わなかったのか?」
「……そういうわけじゃない」
 永ちゃんは空を見上げた。
 どこで見たって空だけは同じ。誰かがそんなことを言ってた。夜空なら尚のことだ。
「面識がなくたって、一応は俺と血が繋がってるわけだしな。そんな人がこんな遠い地で亡くなったのに、親戚の誰も何の関心も示さないのが納得行かないんだ。本当は祖母さんと同じ安斎の家の墓に入ったっていいはずなのに。誰も迎えにも来ない」
「それは――」
 その爺さんが選んだ人生なんだから、それでもいいんじゃないかと思う。何の理由があったか知らないが、ずっと縁を絶ってたってことは帰りたくない理由があったんだろう。ずっと自分の家が嫌いで仕方なかった(今だってそうなんだが)俺には、その気持ちが理解できなくもない。
「それはそうかもしれないが、せめて、誰か仏壇に手を合わせに行ったっていいだろ」
「……まあ、な。その誰かになろうってわけだ」
 永ちゃんは黙ってうなずいた。
「オッケー、付き合うよ」
 俺は立ち上がった。永ちゃんが下から俺を見上げる。
「すごく田舎らしいぞ。鉄道もずいぶん乗り継がなきゃならないらしいし」
「だったら、余計にいっしょに行かなきゃ。一人じゃ退屈するぜ」
 永ちゃんはしばらく黙っていたけど、ようやく「……そうだな」と言って笑顔を見せてくれた。
 

PREV | NEXT | INDEX

-Powered by HTML DWARF-