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Letters

17

 キャナルシティを出て、俺たちは千明の親が経営しているという鍋物料理の店で、水炊きをご馳走になった。
 ウチの地元の店でも冬場にはあるメニューなので初めて食べるわけじゃなかったが、いかにも若女将といった感じのお姉さんが目の前で仕切ってくれるのを食べるのは初めてだった。それに、本場だってだけで数段旨く感じたりするものだ。
 そこで若女将(どうやら千明の姉ちゃんらしい)の目を盗んで地酒や焼酎に手を出したおかげで、店を出たときにはみんなほろ酔いになっていた。
 永ちゃんと真奈は何か話しながら先を歩いている。俺の隣には由真がいて、その後ろを3人組が着いてきている。
 不意に袖を引っ張られて、俺は振り返った。
「どうした――」
(静かにっ!!)
 イタズラっぽい笑みとささやき声。
 最初、俺は由真がすっかり酔っ払っているんだと思った。しかし、由真は酔っ払いとは思えない強さで俺の腕を引っ張って、歩くスピードを落とさせた。それと同時に他の3人が脇道のほうに曲がっていく。
 何をやってんだ、こいつら。そんなことしたら、前の2人とはぐれるだろ。
 俺は前を歩く永ちゃんと真奈を呼び止めようとした。その瞬間、由真の手がスッと俺の口許に伸びてきた。
(――シーっ!)
 もう一方の人差し指を唇に当てた由真は、俺の目を覗き込むようにニンマリと笑っていた。そのまま、俺は3人が入った脇道に引っ張り込まれた。
(ねえ、志村くん。ちょっとでいいけん、2人っきりにしてやらん?)
 聞こえてるはずがないのに由真はささやき声をやめない。おかげで、つられて俺までささやき声になる。
(何考えてんだよ?)
(ううん、別に大げさなことやないけどね。――あの2人、なかなか似合っとうと思わん?)
 角から顔を半分だけ覗かせて、後ろで起こってることなどまるで気づいていない永ちゃんと真奈を見た。
(……まあな。なんだろな、あの馴染みっぷりは)
(似とうとよ、たぶん)
(どこが?)
(いろんなとこが。人に甘えるとが下手で、自分の気持ちを伝えるとが苦手で。そのくせ、人が良うて優しいけん、困っとう人が目の前におるとジッとしとられんで。永一くんがどうかはパッと見た印象やけど、どがん?)
 俺は由真の顔をマジマジと見た。
 永ちゃんはまさにそうだ。そして、俺にはよく分からないが、親友である由真が言うのなら、真奈もたぶんそうなんだろう。
(でもよ、2人っきりにしたって何もねえと思うぜ?)
(そっかな?)
(あったりまえだろ。永はオクテってことはないと思うけどそういうタイプじゃねえし、真奈は遠距離恋愛は嫌だって言ってたし)
(やっぱり?)
(知ってんのかよ)
(そりゃあね。でも、2人っきりやったら何があるか分からんよ。盛り上がっていい雰囲気になるかもしれんし。ほら、一期一会とか言うやん?)
(アホか)
 こいつ、絶対に無責任に面白がってやがるな。
(ま、俺は別にどうだっていいけどよ。でも、その間、俺たちはどうするんだよ。まさか、ずっと後ろをつけていくんじゃないだろうな)
(そがんことせんでも、真奈のバッグにはGPS発信器を仕込んどるけんね。どこに行ったかは一目瞭然)
(……信じらんねえ)
 前言撤回。俺は地元の大学に行く。とてもじゃないがこんな小悪魔、俺の手には負えない。

 
          *          *          *

 
「あの後、おまえたちはどこに行ったんだ?」
 永ちゃんが言った。
「あの後?」
「俺たちとはぐれた後さ。びっくりしたんだぞ。電話も通じなくなるし」
「ああ、由真の友だちが働いてる店に入ったんだけど、そこが地下でさ。圏外だったらしいんだ」
 それは嘘だ。連れて行かれた店が地下にあったのは事実だが、電波はちゃんと届いてた。はぐれた真奈から電話が入るのは間違いないので強制的に電源を切らされたのだ。
「そういう永こそ、真奈と2人でどこに行ったんだよ?」
「彼女の知り合いがやってる中洲のバー。<ピアニッシモ>とかいったかな」
 2人がそこに入ったことは、例のGPS発信器で割り出されてたので知ってる。由真はマルガリータのグラスを傾けながら「あー、やっぱりねぇ」とか言ってた。どうでもいいが、あの女どもはみんな異様に酒が強くて、あのまま全員で飲んでたら最初にギブアップしたのは永ちゃんで、次は俺だったはずだ。
 俺は”酔いなんか回ってない”という顔をするのに必死だったので、会話にはほとんど参加しなかったが、あいつらは由真のPDAの画面を見ながら「なーんだ、つまんないの」だの「いや、これからどんでん返しがあるかも」だの、人の恋路(でもないが)をなんだと思ってるのかと問い詰めたくなるような会話で盛り上がっていた。
「何か、話したのか?」
 俺は聞いた。
「……いや、俺のほうは特に何も話さなかった。でも、彼女のほうがいろいろと自分のことを話してくれたよ。――なあ、志村。彼女が自分の親のことを話すとき、無意識に過去形を使ってたことに気づいてたか?」
「おかしいなとは思った。俺が問い質すのも変なんで聞かなかったけどな」
 真奈の母親は、あいつが小学生のときに亡くなったそうだと永ちゃんは言った。
 それは何となく想像していたことだった。ただ、父親のほうはまるで予想外だった。刑事だった父親は高1のときに捜査中に事件を起こして逮捕されたというのだ。
 その父親は今、北陸の刑務所にいると真奈は言ったらしかった。 
「彼女、一時期はかなり荒れてたんだそうだ。なのに、今はしっかり立ち直ってる。まったくの他人の俺たちにあんなに親切にもしてくれた。――彼女に比べたら、俺の家庭のことなんか大したことはないよな」
「いや、それは違うだろ。不幸なんて人と比べあうもんじゃねえよ。誰かが”人にはそれぞれの戦場がある”って言ってたしな。ただ、比べられることがあるとしたら――」
「あるとしたら?」
「それに立ち向かったか、逃げたかだな」
 永ちゃんはしばらく押し黙っていたが、やがて、しっかりした声で「そうだな」と言った。
「――ところで永。話はそれだけだったのか?」
 俺は言った。永ちゃんはきょとんとした顔をしている。
「何のことだ?」
「2人でよろしくやってたんじゃないかって聞いてんだよ」
「バカ言うな。何もなかったに決まってるだろ」
「どーだかね。2人っきりでバーで酒飲んどいて、何もありませんでしたなんて話を信じろっていうのかよ。気づいてなかったかもしれないけどな、永。真奈のやつ、あれはぜったいにおまえに気があったんだぜ」
「おい、何言ってんだ。そんなわけないだろ」
「いいや、間違いないね。あいつのことだ、別れ際に「幸運のおまじないやけんね」とか言って、ホッペにチュッとかやったんじゃねえの?」
 その瞬間、永ちゃんの無表情な顔が一変した。まるで死刑宣告でも受けたように引き攣っている。
「――どうした、永?」
「志村……。おまえ、どこかで見てたのか?」
「へっ?」
「――えっ?」
 長い付き合いの中でもとびっきりの気まずい沈黙。
 いくらGPSで居所が丸分かりだったからって、会話の内容までは聞こえない。俺が言ったことは正真正銘の口からでまかせだった。
「えいー?」
「……急に眠くなってきた。志村、着いたら起こしてくれ」
 永ちゃんは大根役者並みの大あくびをして、シートの上で体をよじった。
「待てコラ。そんなに都合よく眠くなるもんか。どういうことなのか、話を聞かせてもらおうじゃないか。何だよ、一人だけ抜け駆けしやがって」
「黙秘権を行使する」
「てめえにそんな権利あるもんか。こら、起きろ!!」
 タヌキ寝入りを決め込む永ちゃんの身体を揺すりながら、でも、俺は何となく嬉しかった。
 最初はただ着いてきただけのこの旅は、ひょっとしたら俺の親友の人生にとって大きな意味のある旅で、その場にいられたのは俺にとっても何か意味のあることだったかもしれないからだ。
 それは今、決まることじゃない。この先、永ちゃんが生きてく中で決めてくことだ。
 それでも、ずっといろんなものを背負って生きてきたこの男が、あの女と出会って、その一部分でも肩から降ろすことができたのは――旅の奇跡って奴なのかもしれない。

 
<了>
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