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エピローグ

GRADUATION 〜 after the 「Letters」 〜


「――なーんだ、志村。こんなとこにいたの?」
 俺は顔をあげた。
 この高校に入って3年間、俺はほとんどの昼をこの屋上に出るところの踊り場で過ごした。
 普通、こういうところはその学校をシメてる連中の居所になってるものだが、特に進学校でもない代わりにそんなに荒廃もしてない私立校には骨のあるやつもいなくて、結局、誰とも争うことはなかった。
 階段の下のほうから顔を出したのは寺田亜紀だった。
 小柄でガキみたいな顔してるくせに口の利き方が生意気なバカ女だ。2年の時は同じクラスで、こいつのせいで俺は一生モノの恥をかかされることになった。
 その直接の原因を作った永ちゃんが気にするといけないので、こいつには表立って文句を言うこともできない。俺にとってはとんだ疫病神だ。
「あっきれた。卒業式をフケるなんて話、聞いたことないんだけど?」
「うっせえな。おまえに関係ないだろ?」
「ないけど。ねえ、向坂くん、どこ行ったか知らない?」
「知らねえよ。卒業式に出てたんじゃねえのか」
「あんたさ、どーしていちいち凄むのよ」
 別に深い理由はない。単にギャーギャー煩い同じくらいの年頃の女が嫌いなだけだ。
 そういえば、あいつも同じ歳だったし、こいつに負けず劣らず生意気な女だったが、どうして俺は違う態度で接してるんだろう。
「永ちゃんに何の用だよ」
「式が終わったら、買い物に付き合ってくれって頼まれてんの」
「買い物!?」
 永ちゃんだって買い物くらいする。それは別に変なことじゃない。問題はそれにこのバカ女を誘ったことだ。
「何だかよく分かんないけど、九州に住んでる女の子に贈るものを買いにいくんだって。ねえ、あんた、向坂くんといっしょに九州に行ったんでしょ?」
「……なんでおまえがそれを知ってる?」
「向坂くんから聞いたの。その子にたくさん送って貰ったけど食べきれないからって、明太子のお裾分けもくれたよ」
「ああ、そういうことな」
 永ちゃんの祖母ちゃんの兄ちゃん(あー、ややこしい)の墓参りに行ったとき、案内をしてくれた福岡の女子高生といっしょにメシを食う機会があった。
 そのときの話題の1つに、俺と永ちゃんが夜食に食ったあっちのブランドのカップラーメンが意外に旨かったというのがあって、その話がどう変化したのか、袋ラーメンにもなかなか捨てがたいものがあるという話になった。
 
 ――なんやったら、いろいろ詰め合わせて送っちゃるよ。
 
 真奈はいかにもお人好しそうな笑顔でそう言った。
 俺はもちろん、永ちゃんも飲み会の席の話なので真に受けちゃいなかった。ところが一昨日の昼下がり、引越しの荷物のような段ボールで”うまかっちゃん”だの”屋台ラーメン”だのが届いたのだ。
 ついでに生ものやお菓子も同封してあったらしくて、その一部が寺田に渡ったわけだ。
「……ねえ、志村。その真奈って子、どんな感じの子?」
「どんなって、おまえに何の関係があるんだよ?」
 一瞬、寺田の表情が曇った。しかし、それはすぐに元の朗らかなものに戻った。
「ほら、せっかくその子に贈るのを選ぶのにさ、相手のこと、何にも知らないんじゃ選びようがないじゃん。向坂くんに聞いても、あんまりピンとくる説明してくれそうにないし」
「まー、永ちゃんにそれを求めるのは無理だろ」
「でしょ? だから、志村に聞いてんのよ」
 寺田は手に持ってたペットボトルを俺に差し出した。
 情報料にしては安すぎるような気がするが、もったいぶるほどのことでもなかった。
「はっきり言っちまうと、おまえとは正反対のタイプだな」
「どーいう意味よ?」
「背が高くてスタイルが良くて、顔も大人っぽくて。写メあるけど、見るか?」
 寺田がおずおずとうなづくので、携帯のメモリから真奈の写真を呼び出してやった。
「ほれ」
「うん、ありがと」
 寺田が画面に見入っている間、俺はその写真を撮ったときのことを思い出していた。
 見送りに来てくれた博多駅のホームで、俺は記念にいっしょに写真を撮らせてくれと頼んだ。
 
 ――うっそ、あたし、写真うつり悪いっちゃけど?
 
 真奈にはとんでもないとばかりに断わられた。だが、俺は「そこをなんとか」と食い下がった。
 考えてみればおかしな話だ。俺は付き合ってる女にもそんなことを頼んだことはない。それどころか、女に頼まれてもなかなかうんと言わない男だ。プリクラにも興味がないし、第一、女ならともかく男であれに写りたがるやつの気がしれない。
 それでも、何故か俺はあのクソ生意気な女との思い出を形にしておきたかったのだ。幸い、珍しく永ちゃんが気を利かせてとりなしてくれたおかげで、真奈もやや渋々ながら3人いっしょのフレームに収まってくれた。ついでに本当の目当てだった真奈一人の写真もゲットした。
 

「――なんだ?」
 考え事のおかげで寺田の言葉を聞き逃した。
「なんだって?」
「ううん、なんでもない。ふうん、キレイな子だね」
「どうせなら、もうちょっと笑えばいいのにな。まー、隣の永ちゃんもそうだけど」
「ホントだ。すっごく緊張してるみたい」
「女といっしょに写真撮るなんて、あいつも慣れてないんだろ」
「あいつ?」
 寺田が不思議そうな声を出した。
「どうかしたか?」
「志村が向坂くんのこと、あいつなんて上から目線で呼ぶの、初めて聞いたような気がする。なんか変だよ。出来の悪い弟がお兄ちゃんに反抗してるみたいで」
 そうだろうか?
 ふと、そう言えば以前はそんな呼び方をしてなかったことに気づいた。もちろん、心の中ではそう思ったことは何度かあるが、人前で永ちゃんをあいつ呼ばわりしたことはほとんどないはずだ。
「うるせえ。俺だって、いつまでもガキじゃねえよ」
「だといいけど。いつまでも金魚のフンみたいにくっついてられたんじゃ、あたしも困るし」
「……何のことだ?」
「これ、なーんだ?」
 小さな身体にピッタリの小さな手が開いた。そこには学生服のボタンが載っている。今日が卒業式だってことを考えると――
「まさか?」
「もらっちゃった。向坂くんの第2ボタン」
「マジか!?」
 俺はその場面を想像した。
 寺田が何と言って永ちゃんに近寄っていったかはだいたい分かる。大人しいと評判の割にやることは結構大胆だし、永ちゃんとは(結果的に永ちゃんが大怪我して流れてしまったが)文化祭の出し物の主演男優と脚本家の間柄だ。思い出話をきっかけに話に持ち込むくらいのことはやるだろうし、あらかじめ、どうやって永ちゃんにうんと言わせるかのシミュレーションはそれこそ徹底的にやったに違いない。
 問題はうんと言った――または言わされた――側だ。
「おまえさ、相手が意味分かっててボタンをくれたかどうか、確かめたのか?」
「それ、どーいう意味?」
「永ちゃんのことだからなー。おまえの服のボタンがとれて、しかもそのボタンがなくなって困ってるから分けてやった、くらいにしか思ってないぞ」
「そ、そんなことないもん」
「そんなことあるって。考えてみろよ。おまえに他の女に贈るものの相談をする男だぞ?」
「うっ……」
 どうして俺がこいつにこんなことを言ってやらなきゃなんないのか、そこはちょっと意味不明だったが、とりあえず誤解は解いてやっとかなきゃならないだろう。
「まー、諦めるこった。あんな女心の機微の分かんない奴じゃなくて、他の男をあたったほうがいいって」
「――誰が女心の機微が分かんないって?」
 階段の下から声がした。
「永!!」
「向坂くん!!」
 俺と寺田は同時に叫んだ。まるで昔のテレビドラマで「――話は聞いたよ」と言いながら入ってくる刑事みたいなタイミングだった。
「寺田さんがこっちに行ったって聞いたんだ。悪かったね、ちょっと職員室に呼ばれてたから」
「う、うん。いいけど――」
「そう言えば、志村。1つ言っとかなきゃならないことがあるんだ。俺、寺田さんと付き合うことになったから」
「……へっ?」
 まさかの交際宣言。
 驚いたのは俺だけじゃない。寺田は傍目にもわかるほどドギマギしている。心拍数が150を越えてることは賭けてもいい。
「え、あの、向坂くん……」
「ごめんな、寺田さん。こんな鈍感なやつで」
「えっ!?」
「他の女の子のことを寺田さんに相談するなんて……。俺はただ、誰にでも相談できることじゃないから寺田さんに頼んだつもりだったんだ。九州の子に贈るのは本当にお礼だからね。――でも、不愉快だったんなら謝る」
「そ、そんなことないよ。ごめん、あたしこそ変な勘繰りして――」
 2人は急速に自分たちの世界に入っていった。なんだ、この雰囲気は?
「……えっと、買い物に行くんだったらさっさと行けば?」
 俺は言った。
「そうだな。ああ、そう言えば榊原さんからの荷物に、おまえ宛てのものも入ってたぞ。出しとくから取りに来いよ」
「そうする」
 後でな、と言い残して永ちゃんと寺田は階段を降りていった。その場には俺だけが残された。
 最初から一人しかいなかったんだし、それが好きで俺はここを3年間も占領していたのに、どういうわけかひどく寂しかった。
「……ちぇっ、永のやつ。真奈にチューされてたこと、バラしてやればよかった」
 そう呟いたとき、あることに気づいた。
 榊原さんだって?
 帰ってきてからも、話題に上れば永ちゃんはあいつのことを下の名前で呼んでた。なのに、さっきは淀みもなく苗字で呼んだ。
 そういうことか。
 俺たちの会話に割り込むように入ってきたのも、俺の前で交際宣言をしてみせたのも、寺田のためを思ってしたことだ。真奈を名前で呼ばないようにしたのも。
 ふん、ちょっとは女心が分かるようになってきたってことか。
 俺は携帯電話のメモリから真奈のメアドを呼び出した。長文のメールは読むのも打つのも嫌いだと言ってたので、短く
<大ニュース!! 永に彼女ができました!!>
と打って送信した。
 五分ほどして返ってきた返事は
<あんた、邪魔とかしなさんなよ!!>
というものだった。俺はあいつにどんな人間だと思われているんだろう。
 しばらく考えて、俺はさらに短いメールを送った。

 <しねえよ、バーカ>



 

<了>


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