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Letters

15

 真奈の陣頭指揮で離れの中を片付けて、俺たちはオバハンの家を後にした。
 途中で挨拶のために中学校に寄ると、オバハンはどうせなら晩飯まで食べていけと言った。昼飯のだご汁が予想を遥かに超えて旨かったので、一瞬、期待しないでもなかったが、それだと帰りがあまりにも遅くなってしまう。
 紅葉の季節にまた来んね、と言われて、俺は素直に「また来ます」と答えていた。最初はこんな田舎に2度と来ることもないと思っていたのに、不思議とそういう気分になっていた。
「ここに来れて良かったね、向坂くん」
 下りの山道を秋名のハチロク並みにぶっ飛ばしながら、真奈はミラー越しに後部座席に視線を投げた。後ろで考え事をしていた永ちゃんが顔を上げる。道が分かっててナビの必要がないので、帰りは交代してもらったのだ。
「……良かったのかな?」
 永ちゃんの声はどこか弱々しかった。
「あたしはそがん思うよ。ここに来んかったら、一生、お祖母ちゃんの気持ちに触れることはできんかったんやもん」
「そうだな。――ただ、少し寂しいけどね」
「どうして?」
「結局、祖母さんは俺に何も語ってはくれなかった。俺を傷つけまいとしてくれたんだってことは分かってるよ。それでも、できれば祖母さんの口から本当の気持ちを聞きたかった」
 永ちゃんの気持ちはなんとなく理解できる。
 祖母ちゃんが何を思いながら永ちゃんと暮らしていたのか、その顔を見ながら何を思い出していたのか。それは確かめようがないからだ。兄さんに宛てた手紙を読んだところで、それが祖母ちゃんの本心だって証拠もなければ、読んだ永ちゃんが祖母ちゃんの想いをそのとおりに受け止められたかどうかも分からない。
 確かめたくても、祖母ちゃんはもうこの世にいない。
「まーだ、そがんこと言いよるとね? 向坂くんって大人っぽかって思いよったけど、意外と子供やね」
 真奈は冷やかすような口調で言った。
「……そりゃあ、同じ年頃だったら女の子のほうが精神年齢は上だっていうからな。真奈ちゃんから見れば――」
「そういうことやなくて」
 ピシャリと遮られて、永ちゃんは目を丸くした。さっきの剣幕に圧倒されてからというもの、永ちゃんはほぼ条件反射のように真奈に逆らえなくなっていた。
「人がどんぐらい、自分の気持ちとか表に出しとうと思うと? 自分のこと振り返ってみたら分かるやろ。――ねえ、あんた、この人が何考えとうか、ぜんぶ分かるね?」
 いきなり話を振られてびっくりしたが、俺は自信を持って首を横に振った。
「まったく分かんねえ」
「おい、志村」
「だって、永ってばよ。俺に何にも話してくれねえじゃん。まー、言いたくないことを無理に聞こうとも思わねえけどよ」
「って、お友だちは言いよるけど」
「……悪いけど、何を言いたいのか分からないな」
 真奈はミラー越しに笑いかけた。
「それぐらい、人がどがん想いを抱えて生きとうかとか、周りからは窺い知れんってこと。それでも家族とか友だちとか、恋人とかが分かり合えるんは、お互いに努力するけんよ」
「俺は努力してないってことかい?」
「そうは言わんけどね。でも、この世におらん人の気持ちとか知りたがったって、どがんもならんやん。あとはお祖母ちゃんが残したもんから、自分で読み取るしかないっちゃないと?」
「でも、それじゃ俺が望んだ答えにしかならないだろう?」
「それの何がいけんと? どうせ正解とか出んとやもん。やったら、どんだけ自分に都合のよか答え出したって、誰も向坂くんが間違っとうこととか証明できんやろ。”真実とはバレない嘘のことである”って言葉、知っとう?」
「何だよ、その”捕まらなければ違反じゃない”みたいな屁理屈は?」
 口は挟まないつもりだったのに、思わずつっこんでしまった。俺もかなりテキトーなことを口にする人間だが、こいつの自由人っぷりには遠く及ばない。
「屁理屈も理屈のうちってね」
「おまえ、むちゃくちゃにもほどがあるぞ。だいたい、誰がそんなこと言ったんだよ?」
「元ネタはZ貸してくれた例の博多署の刑事。でもね、世の中って意外とそんなもんやし、それくらいに考えとったほうが楽よ」
「楽よって、おまえ……」
「何も考えんで楽なほうに逃げるとは好かんけどさ。でも、考えたって答えが出んことは、考えたってしょうがないやん。やけん、考えん。それがアタシのモットーなんよ。ねえ、向坂くん、そうやない?」
「……そうかもしれないな」
「おい、永――って、あれっ?」
 振り返った俺は、今度こそ奇跡を目にしているに違いなかった。
 永ちゃんは顔を真っ赤にしながらこみ上げる笑いをこらえようとしていた。でも、それは無駄な努力で堤防はあっさりと決壊した。
 心の何かを振り払うように笑う永ちゃんを、俺は戸惑いながらジッと見ていた。

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