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Letters

12

外のどこで待とうもなかったので、母屋の前に停めてあるZのところに戻った。
 真奈は開けたドアから上半身を突っ込んでZのコンソールを覗き込んでいたが、そのうち「……やっぱりなかねえ」と言って出てきた。
 どうでもいいが、やっぱりこいつは自分のやってることが他人に――特に男にどう見えるか、まったく分かっていない。さっきの格好を後ろから見たとき、膝上のスカートは太腿(しかもナマ脚)を隠す役には立たないのだ。
 俺は慎み深いので身体を大きく捻じ曲げたりはしなかったから、その奥の見えちゃいけない布切れの色は知らない。
「何がないって?」
「カセットデッキ。今の車のコンポにはなかとやね」
「だろうな。俺の車は兄貴のお下がりだから、古くさいケンウッドのコンポがついてるけどな」
「あんたのにあってもしょうがないやん」
「そりゃそうだが、そんな言い方しなくてもいいだろ」
 真奈はカセットテープをシートの上に放って、ポケットからさっきの便箋を取り出した。
 タバコに火をつけて、真奈にも「ホントに吸うのか?」と聞いた。真奈は小さく首を横に振った。
「なんつったっけ、その歌?」
「ア・ホール・ニュー・ワールド」
「どういう意味?」
「直訳するなら”まったく新しい世界”かな。WHOLEをなんて訳すかによるけど」
「おまえ、英語はできんの?」
「学校の成績はそんなに良うないけどね。父親の影響で洋楽ばっかり聴いて育ったけん、ヒヤリングは得意なんよ。あと、歌詞の意味とか知りとうて辞書とかひきよったけんね」
「へえ、すげえじゃん」
「見直した?」
 真奈はちょっとだけ得意げな顔をした。
 祖母ちゃんが書いたという英語の歌詞とその和訳を見せてもらった。祖母ちゃんの字を見るのは考えてみると初めてのような気がするが、想像していた通りのカクカクした堅苦しい字だった。
「なあ、そのホール・ニュー・ワールドってどんな曲だ?」
 俺が聞くと、真奈はチラリと横目で俺を睨んだ。
「どんなって、さっき鼻歌で歌ってやったやん?」
「そうだけどさ。どうせなら歌詞とか聴いてみてえじゃん」
「テープが聴けんって今言うたろ」
「おまえ、意外とにぶいのな。歌ってみせてくれって言ってんだよ」
 こいつが歌が上手いのは鼻歌を聴いていれば分かる。普通に歌うのはいくらでもごまかせるが、鼻歌は音感の有る無しがモロに出るからだ。
「まあ、別に良かけど。ただ、これってデュエットの曲やけん、一人で歌うと途中でおかしかところはあるよ?」
 俺は構わないと答えた。真奈は何度か深呼吸して、薄く目を閉じて歌い始めた。俺はそれを聴きながら祖母ちゃんの字を目で追った。
 
I can show you the world
Shining, shimmering, splendid
Tell me, princess, now when did You last let your heart decide?
 あなたに世界中を見せてあげましょう。
 輝きゆらめく、素晴らしい世界を。
 教えてください、お姫さま。自分で心を決めたのはいつが最後なのですか?
 
I can open your eyes
Take you wonder by wonder
Over, sideways and under
On a magic carpet ride
 あなたの目を開かせてあげます。
 不思議の世界へ連れていってあげますよ。
 魔法の絨毯に乗れば、どのような飛び方だってできるんですから。
 
A whole new world
A new fantastic point of view
No one to tell us no
Or where to go
Or say we're only dreaming
 まったく新しい世界へ。
 見たこともないような、素晴らしい世界へ。
 誰にも邪魔はできないんですよ。たとえどこへいったとしても。
 僕らはただ夢を見ているのではないんです。
 
(A whole new world
(A dazzling place I never knew
(But when I'm way up here
(It's crystal clear
(That now I'm in a whole new world with you
(まったく新しい世界へ。
(まったく知らなかった輝いている世界へ。
(こんなに高いところから見下ろしてみると、はっきりとわかるのよ。
(私は今、あなたといっしょにまったく新しい世界にいるのね。

Now I'm in a whole new world with you
 僕は今、あなたといっしょにまったく新しい世界にいるんです。

(Unbelievable sights
(Indescribable feeling
(Soaring, tumbling, freewheeling
(Through an endless diamond sky
(信じられないような光景。
(言葉にできないほど素晴らしい気分。
(舞い上がって宙返り、ぐるぐる回って、終わりのないダイヤモンドのような空へ。

(A whole new world
Don't you dare close your eyes
(A hundred thousand things to see
Hold your breath - it gets better
(I'm like a shooting star
(I've come so far
(I can't go back to where I used to be
(まったく新しい世界へ。
 目を閉じたりしないで。
(見なきゃいけないものが たくさんあるのね。
 息をひそめてみて下さい。もっと素敵なものが見えますから。
(まるで流れ星になったみたい。
(こんなに遠くまで来てしまって、元の世界になんて戻れないわ。
 
A whole new world
(Every turn a surprise
With new horizons to pursue
(Every moment red-letter
I'll chase them anywhere
There's time to spare
Let me share this whole new world with you
 まったく新しい世界へ。
(新しい地平線を追いかけていきましょう。
 どこまででも追いかけていきましょう。
(時間ならいくらでもあるんだから。
 このまったく新しい世界にいさせてほしいんです。
 あなたと私と一緒になって。

A whole new world (A whole new world
That's where we'll be (That's where we'll be
A thrilling chase
(A wondrous place
For you and me
 何もかもが新しい世界へ。そんな世界へ行きましょう。
 わくわくしながら追いかけてゆく、私とあなたのための素晴らしい世界へ。
 
「――確かにいい歌だけどよ。でも、そんな、泣くほどのもんか?」 
 こいつの歌声には思わず聴き入ってしまったが、それと感動はまた別のものだ。俺がひねくれてて感受性ってやつが鈍いんだとしても、やっぱりピンとこない。ましてや、あの祖母ちゃんに負けてるとも思えない。
 真奈はちょっと小馬鹿にするような目で薄く笑った。
「別に、歌詞がいいけんとか、メロディがきれいやけんとか、そういうとだけが感動の理由ってわけやなかろ?」
「どういうことだよ?」
「さあね。それは他人には分からんことやけど。――あっ、向坂くんが呼びようよ」
 離れを見ると、窓から永ちゃんが顔を出して俺たちを捜していた。
「行こっか」
「オイ、ちょっと待てよ。さっきのはどういう意味なんだ?」
「そがんこと、自分で考えりーよ」
 真奈はそう言うと、俺を待たずにさっさと歩き出した。

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