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Letters

11

「ところで、真奈ちゃんは?」
 永ちゃんは思い出したように写真から顔を上げた。
「さあ、どこだろ。奥の部屋じゃねえか?」
 ねえか、じゃなくて真奈が奥の部屋にいるのは知っていた。実は母屋を出る前に「あたしが奥の部屋ば見よる間、向坂くんを書斎に引き留めとって」と言われていたからだ。
 奴が何をもくろんでいるのかは想像もつかないが、乗りかかった船からは降りられない。
「よう、永。これ何だ?」
 俺は書斎机の上の本の山に近寄った。
「おい、志村。あんまり適当に触るなよ。どれが寄贈するものか、分からないんだからな」
「へいへい。でも、これは違うと思うぜ」
「何だ?」
「スクラップ・ブックっていうのかな。やりかけみたいだけど」
「それ、さっきの先生のやりかけって言いよらしたよ」
 奥の部屋から真奈が顔を出した。永ちゃんがそちらを振り返った。
 肩越しの横顔からも永ちゃんの表情が強張っていることが見てとれた。口に出したり態度で示したりできないのはいかにもこの男らしかったが、ここに居座ろうとする真奈に苛立っているのは間違いなかった。
「なんだ、やっぱり奥にいたのか」
「あっちにも先生の本とかあったけんね。ねえ、これって向坂くんのお祖母ちゃんの字?」
 真奈は一枚の便箋を手にしていた。ずいぶん小さく折り畳んであったようで、折り皺が縦横に入っている。
「何だい、それは?」
「カセットテープのケースに入っとったんよ。「ア・ホール・ニュー・ワールド」の歌詞とその和訳やけど」
 祖母ちゃんは英語の先生だった。泣くほど感動した映画の歌なら、和訳くらいしてたっておかしくはない。あの祖母ちゃんがアニメを見て泣いたって話はどうしても信じられないが。俺が「世界の中心で愛を叫ぶ」の話をしたって「あなたはそんな底の浅い話でよく泣けるわね?」と冷たく言い放った人なのだ。
 残念ながら、正しいのは祖母ちゃんのほうのようだが。
「――ああ、間違いない。祖母さんの字だ」
 渡された便箋に見入っていた永ちゃんは、それだけをやっと吐き出すように言った。だらんと垂らした手から便箋がはらりと落ちた。
 真奈が書斎に入ってきて、永ちゃんの足元から歌詞の便箋を拾い上げた。
「机のそれ、お祖母ちゃんの手紙ってよ」
 一瞬の沈黙。
「……なんだって?」
 永ちゃんの声。
「やけん、向坂くんのお祖母ちゃんがお兄さん宛てに送った手紙。お兄さんと手紙のやり取りばしよらしたのは知っとるやろ。それがそもそも、あんたたちが九州に来ることになったきっかけなんやけんさ」
「それはそうだが――」
「それにさっき、先生が言いよらしたやん。最後のほうはお兄さんが白内障にならしたけん、手紙は先生が代わりに読んでやりよったって。それで、そのうち納骨堂に収められるごと、手紙ば一冊にまとめよるんて。まあ、手紙の数もそこそこあって整理するとに時間がかかるんと、どうしてもいちいち読んでしまうけん、あんまりはかどっとらんそうやけど」
「あー、なんか分かる。あんまり細かい仕事のできるオバハンじゃなさそうだしな」
「あんたに言われとうないと思うけど?」
「うっせえよ」
「ねえ、読んでみたら?」
 真奈は俺を無視して言った。永ちゃんはまるで余命の宣告でもされたような顔をした。
「……俺が?」
「他に誰が読むと? まあ、先生はずっと代読しよらしたけん読んでもよかとやろうけど、それ以外に読む権利があるんは向坂くんくらいやない?」
「いや、しかし……」
「無理にとは言わんけどね」
 言わんけどと言いながら、真奈は机の上の作りかけと同じ大判のノートの束を取り上げて、ドサッと永ちゃんの目の前に置いた。中のページに便箋が貼り付けてあって、もともとの厚さの倍以上に膨らんでいる。ちらりと見えた表紙には日付だけが書いてあった。
 永ちゃんはその一番上、大きな字で<1986−1990>と書かれたノートを手にした。ちょうど俺たちが生まれた頃のものだ。
「気が済むまで読んだら、声かけてね」
 真奈はそう言うと俺の袖を引っ張った。
「なんだよ?」
「タバコ。一本ちょうだい」
「……えっ、ああ」
 ポケットからパッケージを引っ張り出そうとすると、真奈はそこらへんの不良少年だったら逃げ出しそうな目つきで俺を睨んだ。
「あんたバカ? こがん紙だらけのとこで吸えるわけないやん。外に行くよ」
「おいっ、待てコラッ!! 耳引っ張るんじゃねえよ!!」
 頭を振って真奈の指先を逃れた。
 大騒ぎしたのに、永ちゃんはまったく俺たちのほうを向こうとしなかった。まるで我慢比べのように表紙の字と睨み合っている。
(あたしたちがおったら読まれんやろうがっ!!)
 真奈が耳打ちした。
 そうかもしれないが、だったらもっと他の方法で知らせろよ。つまんない小芝居しやがって。

 
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