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Letters

10

「……志村」
 永ちゃんが恨めしそうに俺を見た。
 そんな目で見られても困る。さっきも言ったが、この女を巻き込んだのは俺じゃないからだ。
「仕方ないだろ。あいつがウンって言わなきゃ、帰りたくても帰れないんだから」
「――そうなんだよな」
 Zのキーは真奈が握っている。仮に無理やりキーを取り上げて帰ろうにも、俺は刑事からの借り物のZを転がすほど無謀じゃないし、永はそもそも免許を持ってない。車に頼らずこのど田舎の山里から帰れる気はまったくしなかった。
「諦めろよ、永。それにしても、田舎ってすげえなー」
 俺は目の前の離れをしげしげと眺めた。
 木造平屋建てのかなり年季の入ったシロモノには違いないが、都会だったら充分一軒屋で通じそうな大きさで、一人住まいだったってのに部屋は一つじゃないらしい。風呂とトイレだけは母屋に行かなきゃならないが水回りはあるとオバハンは言った。それに驚いた俺たちに不思議そうな目を向けるというおまけつきで。
「祖母さんの家より立派かもしれないな」
「前、住んでたとこ?」
「ああ」
 永ちゃんがしみじみと言った。祖母ちゃんの家は去年の夏、不審火で焼けてしまっている。
 それはまあ、別にいい。
 問題は真奈がまるで不動産屋に案内された客みたいに、離れの中を見せてもらっていることだ。昼飯を食わせてもらってる席で(ちなみにメニューは”だご汁”という豚汁の中にダンゴが入ってるものだった)真奈が郷土史家という仕事についてやたら質問して、オバハンが「だったら部屋を見せてあげる」と言い出したのだ。
 永ちゃんがどう思ったかは知らないが、俺が聞いている限りでは、真奈はオバハンからその言葉を引き出すような話し方をしていた。こいつがそんな芸当ができる話術の持ち主だということにはかなり驚いた。
「私はそろそろ学校に戻るけど、ゆっくり見ていってよかけんねぇ。鍵は母屋の郵便受けに入れとってくれるとよかよ」
 オバハンはそう言い残して、さっさと学校に戻っていった。
「いいのかよ、そんな無用心なことで?」
「よかっちゃない? こがん田舎じゃ泥棒もおらんやろうし」
「信じられねえ」
 クソ親父が政敵とか利権がらみで敵対する人間が多い仕事をしている関係で、俺の家は物々しいセキュリティに囲まれている。田舎がそんなもんだというのは頭では何となく理解できるが、実感は湧かない。
「ほら、なんばそがんとこで二人で突っ立っとうとねって。入らんね!!」
 真奈はまるで自分の家に招き入れるような顔で俺たちを呼んだ。
「行こうぜ、永」
「あ、ああ……」
 永ちゃんは誰の目にも明らかなほど気乗りしてなかった。が、こんなところで突っ立っているわけにもいかない。
 木枠の引き戸をくぐって、土を踏み固めた文字通りの土間に入った。そこだけでも都会のアパートの一部屋くらいある。長い柄の付いた農器具が壁に立て掛けてあって、一輪車や竹ぼうき、馬鹿でかい剪定バサミなんかもあった。
 土間から一段上がったところが板張りの八畳間で、その奥の襖の向こうは同じくらいの畳張りの部屋だ。対になった窓を開け放ってあって、風が部屋の中をうまい具合に通り抜けていく。緑と土のにおいとしか言いようのない田舎っぽい空気が部屋の中に満ちていて、想像していたようなホコリやカビくささは感じなかった。
 板張りの部屋は書斎だった。お約束のバカでかい机があって、壁際には天井まで届きそうな本棚がずらりと並んでいる。背表紙はどれも褪めた色の小難しそうなシロモノだった。手に取ろうという気にすらならない。
「なあ、永。あれって――?」
 俺は欄間に飾ってある額縁を指した。歳が離れた子供が二人写った白黒写真。相当昔のものらしく、色が褪せて細かいディテールも消えそうになっている。それでも詰襟の学生服を着た12、3歳くらいの頭の良さそうな男と、何というのかよく知らないが、昔風の質素な着物を着た小さな女の子なのは分かった。
「祖母さんとお兄さんだろうな。志村、手、届くか?」
「余裕だよ」
 離れは昔の造りで天井はそんなに高くない。俺なら手を伸ばせば欄間に引っ掛けてある紐にも余裕で手が届く。
 白黒写真を下ろして、永ちゃんに手渡した。
「兄ちゃんっていうから祖母ちゃんと歳も近いのかと思ってたけど、そうでもないんだな」
「一回り以上違うって言ってたからな。こっちに来てたときも祖母さんは2歳だったそうだが、お兄さんはそれなりの歳だったそうだ。まあ、そうじゃなきゃ子供二人だけで疎開なんてさせないだろうけどな」
「なるほど。――って、ちょっと待てよ」
「どうした?」
「祖母ちゃんの葬式のときだけどよ。あんとき、祖母ちゃんの親戚っていっぱい来てたよな?」
 俺は別に葬式の手伝いをしたわけじゃないが、焼けてしまった元の家の替わりを探すのに関わった関係でその辺りの事情は耳にしている。何となく天涯孤独な一家を想像していたのに、普通に叔父さんとか叔母さんが大勢来てて驚いたものだ。
「それがどうした?」
「どうしたって、それは変だろ。兄ちゃんのたった一人の身寄りが祖母ちゃんだったってことは、永ちゃんの叔父さんとか叔母さんは兄ちゃんの子供しかあり得ねえ。そうだろ?」
 安斎は祖母ちゃんの旧姓だと、何かの雑談で当の本人から聞いたことがある。祖母ちゃんの旦那側の親戚なら甥や姪もいるだろうが、それなら安斎姓であるはずがない。――えーっと、間違ってないよな。
「おまえ、意外と鋭いな」
 永ちゃんは心底意外そうな顔をしていた。
「バカにすんな。で、どーなんだよ?」
「簡単なことさ。兄さんとウチの祖母さんの二人と、それ以外の兄妹は父親が違うんだ。祖母さんの母親、つまり俺の曾祖母さんの最初の旦那が戦争で亡くなって、その後、弟と再婚したのさ」
「そんなことできるのかよ?」
「法律的には問題ないらしいな。今はともかく、昔はよくあった話だそうだ」
 二人は戸籍上は前の旦那の子供のままで、それが同じ母親から生まれた兄妹がいるのに兄ちゃんの法律上の身よりが祖母ちゃんしかいない(他の兄妹は戸籍の上では従兄妹にあたる)理由なのだそうだ。あー、ややこしい。
「もっとも曾祖母さんたちの場合、本人の意思っていうより安斎の家の事情だったらしいがな。それが長男の子供である二人を養子縁組しなかった理由でもあるらしい」
「よく意味が分かんねえけど」
「俺もだ」
 永ちゃんは小さなため息をついた。
「ひょっとしてそれが、この祖父さんが実家と折り合いが悪かったって理由か?」
「おそらくな。祖母さんは物心ついたときには母親は再婚してしまってたんで、馴染むとか馴染まないとかいう問題はなかったそうだが。しかし、すでに年頃だったお兄さんのほうはそうはいかなかったんだろう」
「……そういうことか」
「本人たちのせいじゃないのにな」
 永ちゃんはちょっとだけ寂しそうに白黒写真に視線を落とした。
 
 
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