PREV | NEXT | INDEX

Letters

 まだつぼみの桜の並木道を永ちゃんと真奈が並んで歩いている。中学校の隣の古い城門や神社なんかを見てから、茶店や民芸店の並びを見に行こうということになったのだ。
 言い出したのは永ちゃんだった。
 こうやって後ろから見てると、本当に長いこと付き合ってるカップルのような自然さだった。違うのは手をつないでいないことくらいだ。真奈のブーツがペッタンコなので二人の身長差はほとんどないが、それでもちょっとだけ真奈のほうが背が高い。ハイヒールなんか履いたら俺とすら並んでしまうだろう。さっき、何センチあるのかと聞いたら173センチだと言ってた。
 二人は<夢細工>というしゃれた名前の染物屋の店先を覗き込んでいた。
 こういうのにはまるっきり疎いのでよく分からないが、場所柄なのか、薄いピンク色の染物やそれを使った小物なんかが並んでいる。
 そういえば真奈はアクセサリをほとんど(というかまったく)着けてないが、見るのは嫌いじゃないようで、品物を手にとってはじっくり眺めたり自分にあてがってみたりしている。永ちゃんもそれを楽しそうに見たり、驚いたことに「こっちがいいんじゃないか?」という感じで他の品物を渡したりしていた。
「おい、志村。早く来いよ!!」
 永ちゃんが俺を呼ぶ。
 咥えてたタバコを小さくかざした。しばらくの間、二人を眺めながらタバコを灰に変えて、反対の手に持ってた空き缶に短くなった吸殻を落とす。
 真奈が特別なのか、九州の女の子がみんなそうなのかは分からないが、性格的にサバサバしていてこっちが”女”を意識しないで済むのは事実だ。まるで男友達と話してるみたいに自然に話すことができる。無防備で隙だらけなのも事実だが。
 そんなこいつだから、女心という言葉を知ってるかどうかも怪しい永ちゃんでも気詰まりしないでいられるのかもしれない。
 それでも、長い付き合いの俺からすれば永ちゃんの様子は変だった。はしゃぐという言葉とは無縁なはずなのに、さっきから先頭に立って俺と真奈を連れ回している。
 理由がさっきのオバハンの話なのは間違いない。ただ、それのどこら辺が永ちゃんをおかしくしているのかがよく分からなかった。
 まあ、考えても仕方がない。俺は二人がいる店内に入った。
「なんか、土産によさそうなもんでもあった?」
「ねえ、これとかどう?」
 真奈が手にしていたのは淡いピンクのスカーフだった。さくら染めというんだそうで、この店がその技法を開発したんだそうだ。確かに桜の花の淡くて儚げなピンク色がうまく再現されてる。されてるが、それにしても。
「……これを俺にどうしろってんだよ?」
 真奈が顔をしかめた。
「あんたに買えとか言いよらんやん。可愛かろって聞きよると」
「ああ、カワイイカワイイ。おまえには可愛すぎかもな」
「ふんっ、そんくらい分かっとうよ。あたしもお土産に買うていくとやもん」
「誰に?」
「友だちに」
 真奈は自分の家に居候している同級生がいるのだと言った。携帯のメモリから呼び出したその子の画像は、そこらのアイドル顔負けの可愛らしさだった。
「そんな子がいるんだったら、どうして連れてこなかったんだよ?」
「ちょっと事情があって、今日はどうしても抜けられん補習やったんよ。なんね、アタシ一人じゃ不満?」
「そりゃそうさ。2対2だったらダブル・デートになるだろ。おまえの相手はさっきみたいに永に任せて、俺はこの子と仲良くできたんだ」
「おい、志村。別にデートってわけじゃないだろ」
 永ちゃんが困ったように口を挟む。俺はそれをスルーした。さっきのあれがデートじゃなくて何なんだ。
「別にどがんでもよかけど。あ、言うとくけどその子、口はアタシよりかなりキツかけんね。あんたやったらあっさり撃沈するかもしれんよ」
「……そうなの?」
「平気で”遊び相手のルックスにはうるさい”とか言うもん。あんたじゃ――ちょっとムリかも。向坂くんやったら分からんけど」
「そんなの、本人に聞いてみなきゃ分かんねえだろ」
「あー、ムリムリ。その拗ねた目つきどうにかせんと」
 真奈がおかしそうに笑う。悪かったな、目つきが悪いのは生まれつきだ。

 
 結局、真奈はスカーフを1枚と色違いのポーチを1つずつ、それとなぜか線香(これも桜のにおいがするらしい)を1箱を買った。それから、同じ並びの茶店(ちゃみせだ。サテンではない)でこれまた名産だという葛きりを食べて、学校まで戻った。
 ちょうど4時限目が終わるチャイムが鳴ったところで、真奈がオバハンの車についていくためにZを職員駐車場のそばまで回した。いかにも田舎の中学生という感じのガキどもが何事かという顔でそれを見てる。これだけ目を惹く女がZなんか転がしてれば驚くなというほうが無理だ。
 永ちゃんはオバハンの車に乗って、俺はZの助手席に昇格した。
「向坂くんって、お祖母ちゃんとなんかあったと?」
 真奈が言った。
「なんかって?」
「うん、さっきの校長室での話やけどさ。自分のお祖母ちゃんのことなんに、なんか、よく知らん人のことみたいな言い方やったし。2、3年に1回くらいのペースで九州に旅行に行きよったんをまったく知らんかったってのも、考えたら変な話やん?」
「さあな、俺も詳しいことは知らねえし」
 他人にペラペラしゃべるようなことじゃないってのを差し引いても、話してやれることなどほとんどなかった。
 永ちゃんの家族について俺が知ってることと言えば、永ちゃんが5年くらい前からあの祖母ちゃんの家に住むようになったことと、お袋さんがイマイチちゃんとしてない人だということ、一応、親父さんらしき人がいることくらいだ。
 永ちゃんが話したがらないし、俺も無理に聞こうとは思わないのでホントのところがどうなのかは分からないが、傍目にも幸せな一家団欒と無縁な環境だってことは明らかだ。
 中でも、祖母ちゃんと永ちゃんの仲はちょっと独特だった。
 普通、祖父さん祖母さんにとって孫ってのは目に入れても痛くないほど可愛いものだろう。
 ウチなんかまさにそうだ。俺は三男坊なのでそうでもなかったが、上の兄貴なんか初孫だったもんで、そりゃあ何事につけ大騒ぎだったらしい。端午の節句の兜が今でも納屋にあるが、さすがは悪趣味なクソ親父の両親だけあってキンキラに飾り立てられたド派手なシロモノだ。
 それは異常だとしても、永ちゃんは祖母ちゃんの一人娘の一人息子、つまり、祖母ちゃんにとってはたった一人しかいない孫なのだ。
 仲が悪いというわけじゃない。それなら、俺の家のほうがよっぽど酷いだろう。永ちゃんに対する祖母ちゃんの態度を一言で言うなら”他人以上家族未満”ってところだ。家族と呼ぶには距離があり過ぎる。他人と呼ぶには遠慮や気遣いがない。
 もちろん、俺が知らないだけでそれに変わる何かがあったのかも知れないが。
 別にしつこく聞かれたわけじゃなかったが、他に話すこともなかったのでそんなことを真奈に話しているうちに、オバハンの軽自動車がウインカーを上げて、田んぼと田んぼの間の狭い道に入っていった。
 白壁の馬鹿でかい家がだだっ広い敷地のド真ん中に建っていて、軽自動車はその横を通り過ぎていく。どう見ても私道だがまったく遠慮なく通っているところをみると、ここがオバハンの家なのかもしれない。寺は自分の家のすぐ裏だと言っていた。
「なんつーか、でかい家だな」
「田舎やけんね。土地だけはあるってことやろ」
「だな。おい、脱輪なんかすんなよ」
「誰に向かって言いよると?」
 真奈は横目で一瞥くれてZを狭い道に乗り入れた。憎まれ口を叩いてみたが、こいつがそんなヘタクソじゃないことはこれまでによく分かっていた。
 小道の行き着いた先は小さな寺だった。
「ごめんねぇ、狭いとこで」
 オバハンは慌しくドアを閉めて、住職がいるらしい建物のほうに小走りに駆けていった。
 のっそりと顔を出した住職のオッサンは俺たちを本堂裏手にある小さな建物に連れて行った。そこが納骨堂らしい。オバハンはまるで引率の先生のように(先生なんだが……)俺たちを遺骨のところまで案内して、位牌に向かって「良かったねぇ、遠くから啓子さんのお孫さんがお参りに来てくれんしゃったよぉ」と声をかけた。
 俺たちが手を合わせる義理はないような気がしたが、せっかく来たんだからお参りしておくことにした。隣では真奈が神妙な顔をして手を合わせている。
 お参りが終わると、永ちゃんはふうーっと長い息を吐いた。
「ここに収めることはどうやって決まったんですか?」
 永ちゃんの質問に、オバハンは永ちゃんの大伯父が生前からそれを希望していたのだと答えた。
「ずっとここに住んどる人は自分の家のお墓があるとやけど、衛さんはそうじゃないけんね。ほとんどウチの家族って言うてもよかくらいやけん、ウチの墓に入ってもらおうかって話もなくはないとやけど、やっぱり、そういうわけにもいかんし」
「そうですね。その……安斎の家の墓に入れる話は、ウチの親戚とはされなかったんですか?」
 オバハンは首を振った。
「衛さんはご家族とはあんまり折り合いが良うなかったって聞いとるけんね。こっちからそうしてくれって言うたら、なんか衛さんば追い返しよるみたいになるし。あっちからもそげな話は出らんかったけん、こっちで納骨させてもらうことにしたとよ」
「そう、ですか」
 そういえば昨日、永ちゃんが公園で同じようなことを言ってたのを思い出した。死んだ人間が自分の骨がどこに置いてあるかなんて気にするとは思えないが、それは本人のためというよりも、残された家族の体面とか死んだ人への感情、要するに勝手な事情なのだ。少なくとも俺はそう思う。
「ところであなたたち、お昼は食べたとね?」
 オバハンは露骨に話題を変えた。
「さっき、葛きりは食べましたが……」
「やったら、ウチで食べていかんね。ちょうど家に帰る用事もあるし、私は五時間目は授業がなかけん、そがん急いで学校に戻らんでもよかけんね」
「はあ……いや、でも」
 永ちゃんが言葉を探して口ごもる。
 これも滅多にないことだった。何にしても自分の意見を表に出さないのも事実だが、だからといって口ごもったり内にこもったりもしないのが永ちゃんなのだ。だから、クラスの女どもは永ちゃんのことを落ち着いたオトナっぽい男だと勘違いするんだが。
「……もう用事は終わりましたから。これで失礼して、昼は途中でどこかに寄って食べようかと思うんですが――」
「あら、そげんね?」
 オバハンはいかにも残念そうに言う。
 横で見ていて、何となく永ちゃんの表情が暗いのが気になった。脳裏に校長室を出た直後の蒼白い顔が浮かんだ。
「――ねえ、先生。向坂くんの伯父さんてどこにお住まいやったとですか?」
 真奈が唐突に口を開いた。
 永ちゃんは何が起きたのか分からないように目を白黒させた。俺もまったく同じだ。何を言い出すんだ、この女は?
「衛さんはウチの離れに住んどらしたとよ」
「じゃあ、伯父さんが師事しとらした先生っていうのは?」
「ウチの父親。衛さんは福岡のほうの大学に通いながら、父のところにも来よらしたとよ。で、父が久留米の大学を退官した頃から、いっしょに郷土史の本とか書き始めて。父の紹介で同じ大学で講師にならしてからは、ずっとここに住んどらしたねぇ」
「ご結婚は?」
「一回、お見合いでせらしたけど、交通事故で亡くさしてね。それ以来、ずっと独身。私に「どげんや?」っていう人もおったけど、私からするなら衛さんはそがん対象て言うより、歳が離れたお兄ちゃんって感じでねぇ」
「それとにずっとお世話はされよったとでしょ? 先生の旦那さんは何も?」
「まあねぇ、ちょっとは妬きよったとかもしれんけど」
「ですよね?」
 オバハンと真奈は二人だけで分かり合うような目配せをした。オバハンは年甲斐もなさそうな照れ笑いを浮かべていた。
「……真奈ちゃん、話が盛り上がってるとこ悪いんだけど」
 永ちゃんが会話に口を挟んだ。
「ん?」
「いや、そろそろ帰ろうかと思って。志村も腹を減らしてることだし。なあ?」
「えっ? いや、まあ……」
 口実にされて思わず永ちゃんを睨んだ。おい、俺は子供か?
 真奈はわざとらしくポンと手を叩いた。
「やったら、ここでご馳走になっていったほうがいいやん。甘木の街ん中まで店がないとは来る途中で見たけん知っとるやろ。ねえ、先生?」
 オバハンはパッと明るい表情になった。
「そうよぉ、せっかく啓子さんのお孫さんが来らしたとに何も出さんで帰したとか言うたら、私も衛さんとか啓子さんに合わせる顔がなかもん」
「あ、でも、それじゃご迷惑だし――」
「なんねぇ、ぜんぜん迷惑とかなかよぉ。ほら、ウチはすぐそこやけん」
 永ちゃんは心底困っているようだった。しかし、ここで癇癪を起こして自分の我を通すなんてことはこの男にはできない。
 おそらく真奈もそれを見越してやってるはずだった。その証拠に、真奈は永ちゃんの視線が外れた瞬間に俺にも目配せをしてきていた。何か、企みがあるんだろう。
 オバハンは真奈に着いてこいと言って、軽自動車を境内でUターンさせた。真奈は住職の目がないことを確かめてから、その場でサイドブレーキ・ターンを敢行した。いくら腕に自信があるからって何てことしやがる。
「ほら、さっさとせんと置いてくよ!!」
 窓から顔を出して真奈が怒鳴った。
 まあ、いい。とりあえず、こいつの思惑に乗ってやろう。
「行こうぜ、永」
「あ、ああ……」
 永ちゃんは特大のため息をついて、俺に助けを求めるような視線を投げかけてきた。初めて見る表情だが、案外悪いものじゃなかった。
 俺は永ちゃんの背中をポンポンと叩いて、思いっきりにこやかに「あの女を誘ったのは俺じゃないからな?」と釘を刺した。 


 
PREV | NEXT | INDEX

-Powered by HTML DWARF-