OVER番外編

天蓋の花 8


本葬と言っても、やることは読経と焼香と精進落しの会食という、
先月もやった3点セットの繰り返しなのだが、今回はそれに「納骨」という儀式がくっついている。
無事に安斎家代々の墓である、黒い墓石の下にあるスペースに骨が納められ、これをもって祖母を送る儀式のすべてが終了した。

「……そう、高校3年生。勉強の忙しい時に、大変だったわねえ」
「ええ、まあ」
答えているのは俺でなく、父親だった。
食事の席で隣に座った祖母の姉という人が、息子についての話題をふったものらしかったが、当然ながらこの男が俺に関して知っていることは、近所の他人より少ないのだ。
「それで、志望大学は決まったりしているの?」
などという質問に「いやあ、それなりに」と、この父親にしては珍しく困惑した様子で返事に窮していたのは、知らないためというよりも、どちらかといえば、斜め向かいに座っている俺の反応を気にしてのことらしかった。
俺はといえば、祖母と仲がよかったという従兄の思い出話に、おとなしく相槌をうっている。
この従兄は祖母より10歳ほど年上であるそうで、同じ話が何回かループしていたが、俺は初めて聞く姿勢を崩さず、心をこめて頷いた。
……不機嫌な態度は、絶対にとらないこと。
ここへ来る前に、父親対策用にと唱えてきた呪文は、まだ有効だった。
ああ、ちくしょう。
口には出さない言葉を何度も何度も反芻する。食べているものの味も分からず、わけもなく胃がむかむかする。
自分が傍目にそう見えるほど、中身も大人であればよかったのにと、今日ほど思ったことはない。


「じゃ、お先に」
「お気をつけて」
別れの挨拶を繰り返し、次々と出て行く車を見送った。
最後の車に手をふったあと、しばらく三人でぼんやりしてしまったのは、今回のミッションをやりとげた達成感――ではなく、脱力感だったのかもしれない。
ずっとはりつけていた笑顔のせいで、なんだか口元がひきつるような感じがする。
「……送っていくけど」
車のキーを取り出した父が、そう言った。
ところが、普通の仲良し家族をよそおい続けたストレスだろうか、母親は凄い目つきで夫を睨みつけ、
「けっこうよ! 行こ、永一!」
ふんと鼻息あらく叫ぶと、背を向けてしまった。
そのまましばらくずかずかと歩いていった母親だったが、ふと足を止めたかと思うと、いきなり振り返った。 
「どうも、おつかれさまでした!」
「ああ……、どうも」
迫力満点の怒鳴り声に、気のぬけた様子で父親が応じる。
まさかのセリフに、冠婚葬祭の責任は多少は人を大人にするものかもしれないと俺が思わず苦笑いをしていると、父親がじっとこちらを見つめていた。
「千晶には、おまえが知っていることは話してないんだろ?」
「話してない」
呪文の効力の切れた俺が無表情に答えると、父親は舌打ちした。 
この男と口をきくのは今日はこれが初めてで、できればこれで人生最後にしたいくらいだが、おそらくそれは叶わない望みなのだろう。
「だと思った。おまえって、フェミニストなんだよなー」
この男がフェミニズムの何たるかに関心があるとは思えないので、これはたぶん「女に優しい」くらいの意味の嫌味のはずだ。
「……母さんには、ときどき育ててもらった恩がある」
嫌味で返したつもりだったが、よく考えてみたら、これはただの事実だった。
いかなる意味においても、俺はこの男の世話になったことはない。
ないのだが、と思う。
ひどい目に遭わされたことがないのも、また事実ではなかったか。
親戚友人知人おかまいなく誰にでもひとしく迷惑をかけているお騒がせなこの男に、何もされていないというのは、もしかしたら、ひどく珍しいことなのかもしれない。
「それに」
言い忘れていたことがあったような気がして、俺は付け足した。
「母さんは、本当は 祖母 ばあ さんと仲良くしたかったんだ」
「……かもな」
父親は、結婚以来ずっと別居中である妻の背中を見つめながら、そう言った。
だけどそれは本当のことで、俺はずっと昔からそれを知っていた。
母親の関心を惹きたい気持と、この風変わりな男への興味と、強かったのはどちらの気持だろう。
どちらにしても、祖父の話によれば、離婚当時まだ小学生であった娘は、母親についていくと言い張ったというのだ。

寺の駐車場を出て、本堂への参道を歩き出す。
荷物を取りに先に行った母親は、すでに見えない。
さらさらという音に空を仰ぐと、参道脇に植えられた木に、白い花が咲いている。
何の花だろう、聞いてみようかと振り返ると、父親が駐車場で手を振っていた。
気障な仕草で乗り込んだのは車高の低い赤い車で、それは結構あの男に似合っているような気がして、走り去るのを黙って見送った。
次に顔を合わせる日がくるのは、また何年か先のことだろう。できることなら、それが誰かの葬式でなければいいなと思う。


いつも続かない会話。冗談ひとつ言わない、無表情な祖母。
今なら分かることも少しはあって、おそらく祖母は祖母なりに、努力してくれていたのではないだろうか。いつもああして気を張っていたのは、何も知らない俺に対して、不満をぶつけたりしないよう、自分なりに公平であろうとしていたからではないのか。
ただそれが、少しだけ不器用で、いつも少しだけ――上手くいかなかっただけの話で。
だから、そう、たとえば俺にこんなふうに「かわいそうに」などと、思われたいはずもなく。

教師であったこと、離婚経験があること、娘がひとりいること。
亡くなった祖母の人生について、俺が知っていることはわずかな事実だけで、今もそれは変わらない。
少しは昔の恋人に気持を残していたのか、それともただの過去の汚点だと思っていたのか。
一度たりとも父のことで俺を責めなかった祖母の、焼き捨てた写真の中で笑っていた祖母の胸のうちに何があったのかは、もう誰も知ることができない。
そしてそれこそが、本人の望みだったのかもしれなかった。


白く、はかなく、誰も手に触れることができない。
頭上でただ風に揺れている、花みたいに。



(了)
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