OVER番外編

天蓋の花 6


小さなトラブルを除けば、通夜も告別式も滞りなく無事に済んだ。
火葬場で骨を拾い、菩提寺での本葬は49日法要を兼ねて行なうこととして、一連の儀式はとりあえず終了した。


「えー、ムリ。うちに祭壇なんてムリだってば!」
「小さくてもいいだろ。ここなら近所のひとが線香をあげに来るわけもないんだし」

いやがる母親を説得して、マンションの狭い部屋に、骨壷と位牌を並べる場所をつくってもらう。
火葬場へ行っている間にやってもらう作業なのだが、小さいなりに体裁をととのえようと頑張ってくれたものらしく、葬儀社の担当者の苦労がしのばれる出来で、俺はこれを見てようやく一安心したのだった。
「永一、どこ行くの?」
玄関先で靴をはいていると、不安そうな母親がうしろに立っている。
ふだんは俺の行き先など気にしないのに、慣れないことばかりが続いたせいで、ひとりにされるのが不安なのだろう。
いつもの念入りな化粧は崩れ、泣きすぎた目が、まだ腫れている。
それを見ると、俺の胸がかすかに痛んだ。
罪悪感、だったのかもしれない。

「ちょっと図書館まで行ってくる。そろそろ勉強しないと」
「そう。そうだよね……」

俺は不自然にも手ぶらだったが、この母親は、そういうこまかい部分にいちいち関心を払わない。
いままで深く考えたこともなかったが、この調子であれば、簡単に悪い男にひっかかるのも無理はないなという気がした。
「じゃ、遅くなるから」
と言って出かけた俺は、結局は三日も帰らないことになるのだが、図書館にも行かなければ、もちろん勉強もしなかった。
かわりにやったのは、探偵の真似ごとだった。
それと、殴り合いと。



ぽう、と火がともり、小さな炎となる。
川原で拾い上げた一斗缶に、少しだけ灯油を入れて火をつけ、次々と千切った紙を放り込む。
風がないために、脇に立つ俺は煙にいぶされて、目が痛い。
ちくしょう、と俺は今日何度目になるか分からない悪態をつく。

「うわ、ホントにいた!」

いきなり懐中電灯に照らされて、ぎょっとして振り返った。
「ビックリしたなー、もう」
川辺に立つ志村は、驚いた顔をしている。
「……なんでおまえがビックリするんだよ」
それはこっちのセリフだ。
眩しさに顔の前に手をかざして光を遮ると、「あ、わり」と言いながら志村は懐中電灯を下ろしかけて、「アレ?」と言って元に戻した。
「永ちゃん……それ、顔、どうした?」
「これはべつに……」
歯切れ悪く呟いて、俺は顔をそむけた。
ころんだ、と言ったとしても志村は詮索しないかもしれないが、今はとてもじゃないが、わざとらしすぎる言訳を口にする気になれなかった。
すさんだ気分で、俺は黙って紙を千切りつづけ、火にくべる。
殴られて腫れ上がった頬に視線を感じて、無意識のうちに隠すように、そこへ手をやった。
「これはその……ケンカして」
我ながら、聞き取れないほどの小さな声だった。
俺が言うと、「ケンカ!」と志村が復唱した。
「永ちゃんが、ケンカ。ケンカって、まさか殴り合いのケンカ?」
「……口ゲンカでこんな顔になるか」
あほうすぎる発言に思わず目をつりあげると、志村はポカンと口を開けた。
「だって、ええ、ホントに? 殴り合いなんてキャラじゃないだろ。いきなり殴られたのか? 警察行く?」
「いい。先に手を出したのは俺のほうだし」
「えええ?!」
さらに奇声をあげて、志村はじろじろとこちらを見る。
「それでおまえ、なんでこんなとこにいるんだよ」
切れた口元を押さえながら、俺は聞いた。
志村の家は、そもそも駅の反対側だ。こんな町はずれの川っぷちに、いったい何の用があって来ているのか。
「ああ、そうそう」
ポンと手を打って、志村は笑顔を見せた。
「小玉スイカもらったからさ! 永ちゃん好きだろ? 一緒に食おうと思って持って来たんだよ。こっちいるかと思って家のほうに行ったらさー、いないじゃん。隣んちに聞いてみたら、川原のほうに行ったみたいっておばさんが教えてくれて、懐中電灯も貸してくれたわけよ」
なにが「わけ」なのか分からないが、おおよその文脈から察するに、俺が祖母のために借りた家の隣人と、志村はいつの間にか親しくなっていたらしい。
「冷蔵庫に入れてもらったから、あとで食おうなー」
と上機嫌だが、俺のような人間には、どうやったら他人の家の冷蔵庫に自分が持参したスイカを突っ込めるのか、その神経が分からない。
放心して立ち尽くしていると、志村が「なに? これ燃やすの?」と地面に膝をついて、下に置いてあった紙を勝手に拾い上げ、そのまま火に投げ入れた。
めらめらと、紙の束が燃えていく。
何もなかったみたいに、灰になる。
じっと見つめていると、志村が「……しょうがねえなあ」と溜息をついて立ち上がった。
「殴られ記念日だし、しょうがねえ、スイカのいいとこは永ちゃんにやるよ」
「スイカのいいとこって、どこだよ」
あきれた俺の言葉など聞こえない様子で、鼻歌をうたいながら志村は先に立って土手を下り始めた。
すっかり毒気をぬかれて、俺は遅れてあとをついていく。
この世の終わりのように荒れて、ささくれていた気持が、なぜか溶けていくような気がして。

聞けよ、と思った。
何で殴ったのか聞いて、誰を殴ったのか問い詰めて、何を燃やしているか白状させろ。
ここ数ヶ月の間、俺の都合にばかり振りまわされてきたのだから、それくらいの権利はあるだろう。
なのに、しらばっくれて、何がスイカだ。
俺は心の中で、口汚く志村のやつを罵った。

ちくしょう、いつもいつも、おまえは本当に。

……どうしてそう、俺に甘いやつなんだ。
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