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●  まるで愛のような ---  ●

夏生と競い合うように、「あそんでー」とまとわりついていた隆明さんに対して距離を置きはじめたのは、中学生になってからだ。
私たちより10歳年上の隆明さんは、すでに社会人の、立派な大人で。
私みたいな子供なんか、相手にされるわけもない。
それは分かっていて、だから何も言えなくて、でもやっぱり顔が見たくて、だけどつらくて。
何の悩みもなく、隆明さんと一緒にいられる夏生が、ひどく憎らしかった。

「隆明が、来週ウインド教えてくれるって。おまえも行くだろ?」
「行かない」
初夏の、川島家の庭だった。そのころの私は、レッスンが終わると、隆明さんとも夏生とも顔を合わせないように、さっさと帰宅するようになっていたのだが、その日は夏生が追いかけて来たのだ。
「なんで?」
「行きたくないから」
振り向きもせずに、私は言い放った。
今思い出すと笑うしかないけれど、14歳のあのころ、自分はこの世でいちばんつらい恋をしているのだと、かなり深刻に思い詰めていた。だから、隆明さんの女友達の名前を持ち出した、夏生の次の一言が頭にきたのだと思う。
「なら別に来なくていいけどさ。カオリさんも来るし」
ごっ、と骨に当たるような音がして、夏生はよろめいた。
「おま……っ、おまえ、ゲンコ使いやがったな?」
殴られた頬をおさえて夏生はわめいたが、私は拳をかためたまま、文字通り地団太を踏んだ。
「あんったなんか、大っきらい!!」


「なにヘンな顔してるの、辻ちゃん」


相川さんが不思議そうにのぞきこんだ。
「……ちょっといろいろ思い出して。変な顔してますか?」
「うん。仏像みたいな顔になってる。もうそろそろ切り上げようか。英文読めなくなってきたわー」
海外からの大量のメールを処理し続けていた相川さんが、うーんと伸びをする。
気がつくと、22時をまわっていた。軽く食事でもしていく? と誘ってくれた相川さんを断って、私は地下鉄の駅へ向かった。


「一度、おれが会いに行ってくるよ」
今朝の夏生は、そう言っていた。
朝日の差し込む川島家のサンルームは、おかしな空気が漂っていた。うきうきと楽しそうな蓉子先生に、いやに無口な私と、憮然とした表情でコーヒーを飲む夏生。

隆明さんが生きていた、という降ってわいたような情報は、蓉子先生の古い知り合いからもたらされた。
その知人の大学生の息子さんが、ファームステイをしていたシドニー郊外の農場で、時折手伝いに来る日本人男性と知り合ったのだそうだ。
最初はあまり自分のことを語りたがらなかったという、その男性は、日本語は話せるものの、自分の過去はまったく思い出せないのだと打ち明けたという。ひどい怪我をしていたところを今の奥さんに助けられ、それ以来、彼女の農場で、ずっと一緒に暮らしているのだと。

「そんな馬鹿な話があるかよ。あのとき、さんざん捜索してもらったし、地元でもかなり報道されたんだ。だいたい、どこかの岸にうちあげられた人間を救助したら、まず警察に届け出るはずだろ? なんで匿うんだよ。誰だか知らないけど、別人に決まってる!」
あの夜、隆明さんが生きていたと告げた私に、夏生は食ってかかってきた。

8年前の事故当時、隆明さんの身内である夏生は、何度も現地へ行っていた。捜索の打切りや、艇のオーナーとの揉め事に、蓉子先生は見る見るうちに痩せ細り、ハーネスを着けていなかったと思われる隆明さんの安全性を軽視した行動が世間で非難されるようになると、ついには倒れてしまった。
夏生は、端で見ているしかなかった私より、ずっとずっと、つらい経験をしたはずなのだ。
隆明さんが生きていたのだとしたら、あれはいったい、何だったのか。

泣きながら我が家へ「隆明が生きていた」と言いに来た蓉子先生に、私もまったく同じ言葉を返した。
そんなばかな、と。

「これ、見てよ」
借りてきた写真を慎重に封筒から取り出し、夏生の前にすべらせた。
蓉子先生の知人の息子さんと、もうひとり、日本人らしい男性が一緒に写っているものが5枚。
正面からの、笑顔。シャッターチャンスを逃して、横を向いているショット。巨大な農機具をバックに、全身がうつっているものもある。
一枚一枚を、夏生は手にとって、じっくり見ていた。

「……これだけじゃ、分からない」

呟くように言って、夏生は写真を返して寄こした。

別人だ、とはもう言わなかった。

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