「Change the world

第二十八章

 天神西通りを南に歩くと、その中ほどに岩田屋の西通り側コンコースがある。
 昼間は待ち合わせや立ち話のメッカで、時には地元テレビ局のローカル・バラエティー番組がインタビューのロケをやっていたりもするところだ。西通りそのものが片側一車線の狭い道なせいもあるけど、この辺りは混み合う天神の中でも一番ゴミゴミしている。通りの向こう側は今や親不孝通りに代わる繁華街の大名なので、人が多いのはそのせいもある。
 ラーメンが意外にしょっぱかったので、ミスドでテイクアウトした口直しのコーヒーを飲む間、そこで立ち話をした。
「へえ、ここ、きらめき通りっていうんだ」
 向坂は少しだけ面白がるような口調で言った。コンコースから岩田屋の本館と新館の間を渡辺通りのほうに抜けていく路地のことだ。今、アタシたちがいる西通りに面しているのは西口。東口がある正面には駅ビルが壁のように立ちはだかっていて、場所によってはビルの二階部分を電車が走っていく奇妙な光景を見ることができる。
「変な名前やろ?」
「まあね。でも、担当者にその名前にした理由を訊いてみたくなる通りって意外と多いよな」
「確かにそうやね」
 この通りの中ほどにある、新天町から出てくる道と交差するその名も”きらめき通り交差点”は岩田屋の本館と新館、VIOROという真新しいファッションビル、ソラリアプラザに取り囲まれていて、休みの日の人通りは天神でも一、二を争うほどの多さになることで知られている。街全体がショッピング・モールのような天神の実質的な中心といってもいいところだ。
「あれ、何か分かるね?」
 四つ角の一つに建つソラリアプラザを指差した。七階か八階までがファッション・テナントや飲食店で、上の階には西鉄ソラリアホテルやフィットネスクラブが入っている。
「……さあ?」
「昨日、向坂くんたちがさんざん逃げ回った挙句に、アホウどもと鉢合わせしたビル。実際に鉢合わせしたとはビルの向こうの警固公園側の出口やけど」
「えっ、あれが!?」
 向坂はソラリアプラザの建物を見上げて呆然としていた。
「そう。どこをどう逃げてきたらあそこにに出てくるとか、未だによう分からんとよね。大体、同じソラリアでもステージとプラザってまともに繋がってないけんね」
「……?」
 怪訝な表情の向坂に、二人が逃げ回っていた駅ビル内のソラリアステージとソラリアプラザが別のビルだということを説明してやった。他のビルと違って、二つは駅やバスセンターを介してしか連結していない。同じ西鉄系列のビルなのにそうである理由は謎だ。
「……ちょっと待ってくれ。どうして真奈ちゃんが、俺たちがそのソラリアステージの中を逃げてたのを知ってるんだい?」
「居合わせたけんに決まっとうやん。具体的にどこって言うても分からんやろうけど、途中で追っ手がおらんごとなったろ?」
 三階のパーティグッズの店の前で二人がアタシの目の前を通り過ぎたことと、その後を追ってきた三人組を力尽くで足止めしたことを話した。
「そうだったのか……」
「そうったい。それとにまた公園で囲まれとうけん、何しようとかいなって思うたよ」
「まったく面目ないね」
 向坂は渋い表情をしていたが、アタシと目が合うと少し悪戯っぽい苦笑いに変わった。
「でもさ、まさか、この辺を歩いててあいつらと出くわしたりしないだろうね」
「そがんことなかと思うけど、もし、そうなったらアタシか向坂くんの日頃の行いによっぽど問題があるとやろうね。――ところで、まだ胃もたれしとうと?」
「少しね」
 向坂の腹にはまだ手が当てられている。まあ、ほんの数百メートルを歩いたくらいで腹ごなしになるはずなどないが。
「やったら、そこのゲームセンターで運動していかん?」
「運動? どんな?」
「何でも好きなのでよかよ。向坂くんって何が得意?」
「強いて言えば卓球かな」
「うわっ、すっごいイメージどおり」
「……大きなお世話だよ」

 きらめき通りにあるラウンドワン天神店の注意書きには”16歳以上18歳未満の方は午後10時以降ご入場できません”と記してある。
 アタシは十八歳だし、一年留年しているということは向坂は十九歳なのでセーフ――と思っていたら、この十八歳云々には高校生が含まれているらしかった。つまり、アタシたちにはどちらも入場制限が課せられていることになる。
 とは言え、アタシたちはどちらも身分証明書の提示を求められずにスムーズに中に入ることができた。ラウンドワンの店員が仕事をサボっているわけではもちろんない。向坂もアタシもまず高校生には見えないからだ。追い返されなかったのは嬉しいけど内心忸怩たるモノはある。
 勝負は向坂が比較的得意だという卓球から始まった。
 が、しかし。結果はアタシの圧勝だった。力任せのスマッシュが決まるたびに福原愛のガッツポーズの物真似をする余裕つきで。
「……何かムカつく」
「おっ、意外と負けん気強かとね」
 二つ目はダーツ。二人ともルールがよく分からなかったけど、電光掲示板に点数が出る機械だったので単純に点数勝負。向坂がど真ん中に二発入れて引き離されたときには焦ったけど、それ以外でコンスタントに的に命中させ続けたアタシが際どいところで逃げ切った。
「おやぁ?」
「次、行こうか」
 ただでさえ少ない口数がさらに減っている。怒っているわけではなさそうなので、囃し立てるのを抑えるだけにした。次の勝負で手を抜こうかとも思ったけど、それは失礼にあたるだろう。
 三つ目はバッティング。どちらが多く前に打ち返したかで競った。ただし、ホームランを打ったらそっちの勝ちという特別ルールつき。
 ここは少しだけ向坂が有利だった。どれだけ周囲から浮いた小学生時代を送っていても、まったく野球に触れないで育ったわけではないからだ。その点、アタシはバットというやつでボールを打ち返す感覚がイマイチつかめない。体育の授業でソフトボールをやったときはバントで転がして、自慢の俊足で無理やり内野安打にしていた。
 結果は向坂がヒット七本、アタシが三本で向坂の勝利。
「まだ、アタシがリードしとうけんね」
「そうかい? さっきから足元がふらついてるよ」
 向坂の指摘は単なる負け惜しみではなかった。それは四つ目のフリースロー対決で現れた。
 本来、バスケットボールはアタシの得意な競技に入る。正式な部員でもないのに中体連ではレギュラーとして起用されていたほどなのだ。
 ブランクがあっても負けはしない。
 そう思って自信満々に放ったショットはリングにかすりもしなかった。アルコールは明らかにアタシのフォームをバラバラなものにしていた。
 一方、向坂は最初の一本を外しただけで、あとは綺麗なレイアップで次々と点を重ねていった。五点先取のルールでやったのだけど、向坂が放ったラストショットがリングにも触れずにすっぽりと収まったとき、アタシはまだ0点だった。
「ズルかぁ。何ね、初心者とか嘘ばっかり言うてからさ」
「嘘じゃないよ。体育の授業でやっただけなんだから」
「えー、それであのフォームとか信じられんよ」
「志村が結構上手くてさ。どんなふうにやってたか、思い出しながら投げたんだ。昔から見様見真似でやるのは得意なんだよ」
 澄ました表情の裏側でほくそ笑んでいるのが見える。そういう笑みを浮かべていれば向坂は充分に魅力的な男だった。
 けれど、彼がそういう表情をすればするほど猛烈に湧き上がる感情があった。頭から追い払おうとしても追い払えない、安斎啓子の手紙を隠して嘘を並べ立てたことへの後ろめたさ。
「なんだい?」
 向坂の見返してくる眼差しで、自分が彼をジッと見つめていたことに気づいた。慌てて視線を逸らしたけど、却って不自然な感じになったように思えた。
「ううん、何でもなかよ。――ねえ、楽しんどる?」
 向坂は少し意外そうな顔をした。けれど、それはすぐに邪気のない笑みに変わった。
「ああ、楽しんでるよ。こんなにはしゃいだのはいつ以来だろう」
「……よかった」
 嘘ではあるまい。
 けれど、それでもアタシはその笑みに、向坂が大伯父の書斎で見せた底なしの井戸のような眼差しを重ねずにはいられなかった。どれだけ楽しんでいるように見えても、それは表面だけだ。彼の心の奥底は凍てついている。同類であるアタシにはそれがありありと感じられる。
 いや、本当はそうではないのかもしれない。氷のように冷えきっているのはアタシの心のほうだからだ。
「真奈ちゃん、次は何で勝負する?」
「そうやねぇ……」
 向坂に向かって、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「もういい、疲れた。ちょっと酔いも回ってきたみたいやけん、この辺で終わろ」
「じゃ、勝負は二対二の引き分けってことで」
「そういうことにしとっちゃるよ」
 笑いながらボールをカウンターに返し、料金を精算してラウンドワンを出た。
「――さて、と。そろそろ、お開きにしようか」
 腕時計に視線を落とした向坂は、少し言いにくそうに切り出した。
「えー、もう?」
「だって、ずいぶん遅いよ。いくら、お祖父さんたちが旅行でいないからって、そこまで遅くなったらまずいんじゃないのかい?」
「そがんことなかよ。アタシの夜遊びは事実上、公認やけん。ねえ、昨日も行ったけど、アタシのバイト先でもうしばらく話さん?」
「いや、それは――」
 まだ、帰りたくない。
 その言葉を素直に言えればいいのだろう。けれど、それを口にするのは憚られた。アタシは向坂の何者でもなく、向坂もアタシの何者でもないのだから。
「あと一軒でよかけん、付き合うてよ」
「だから――」
「いいやん、一軒くらい。付き合うてくれたら、大人しく帰るけん」
「……しょうがないな。じゃあ、あと一軒だけだよ」
「オッケー、それじゃレッツゴー!!」
 心に巣食う闇を追い払うように無意味に大きな声をあげて、西通りの向こうにある大名のほうを指差した、そのとき。
 アタシの手首はガッシリした男の手に握られてしまっていた。
「……きさん、何しようとやって?」
 聞き覚えのない声。思考停止状態で振り向いた目の前には、アーミーグリーンのフライトジャケットを着込んだボウズ頭の剣呑な眼差しがあった。  
 
 

-Powered by HTML DWARF-