「Change the world」

第十二章

 秋月は今でこそ山間の田舎町だけれど、建物には城下町の面影が色濃く残っている。板張りに白壁の塀、町のあちこちに残る石垣の跡、畑の真ん中にポツンと建っている蔵。街並みは年月に晒されてくすんでしまった材木の色で統一されている。小奇麗さとは無縁だけれど、素朴で歴史のある情景は確かに小京都の名にふさわしい。
 横河先生の家は秋月地区の北側にあった。
 学校からは大して離れていない。風向きによっては校庭の喧騒すら聞こえてきそうな距離だ。それなのに志村とゆっくり話せるほど時間がかかったのは、先生の運転が超がつく安全運転だったのと、どう考えても無駄な回り道をしているからだった。おそらく狭い道は避けて走っているのだろう。
 それでも、先生が乗り入れた田んぼ道は車が一台ぎりぎりで通れる狭さだった。
 田んぼの隣には白壁に囲まれたお屋敷があった。
「なんつーか、でかい家だな」
「田舎やけんね。土地だけはあるってことやろ」
「だな」
 ムーヴに続いてZを田んぼ道に乗り入れた。
 小道の行き着いた先は小さな寺だった。檀家以外の人間が来るのがよほど珍しいのか、禿頭の住職はのっそりした仕草の中でもアタシたちに興味深そうな視線を注いでいた。
 アタシたちが(というか、向坂が)何者かを忙しない口調で説明しながら、横河先生は住職よりも率先してアタシたちを本堂の裏手にある納骨堂へと案内した。
「良かったねぇ、遠くから啓子さんのお孫さんがお参りに来てくれんしゃったよぉ」
 短い戒名が記された位牌に向かって、先生はまるで生きている向坂の大伯父に語りかけるような口調で言った。
 向坂が位牌の正面に立ち、アタシと志村はその後ろで位牌に手を合わせた。途中で薄目を開けて志村の様子を窺ってみたら、意外なことに神妙な顔でちゃんと手を合わせていた。
 お参りが終わると、向坂はふうーっと長い息を吐いた。
「ここに納めることは、どうやって決まったんですか?」
「ああ、それは衛さんがそがんしてくれると助かるって、ずーっと言いよらしたとよ。まあ、本当のところば言うなら、ここの住職さんのご好意で入れてもらっとるとやけど」
「そうなんですか?」
「ずっとここに住んどる人は自分の家のお墓があるとやけど、衛さんはそうじゃないけんね。ほとんどウチの家族って言うてもよかくらいやけん、ウチの墓に入ってもらおうかって話もなくはないとやけど、やっぱり、そういうわけにもいかんし」
「そうですね。その……安斎の家の墓に入れる話は、ウチの親戚とはされなかったんですか?」
 横河先生は寂しそうに首を振った。
「衛さんはご家族とはあんまり折り合いが良うなかったって聞いとるけんね。こっちからそうしてくれって言うたら、なんか衛さんば追い返しよるみたいになるし。あっちからもそげな話は出らんかったけん、こっちで納骨させてもらうことにしたとよ」
「そう、ですか」
 家庭内の軋轢は、おそらくどこの家にだってあるはずだ。
 親類縁者の少ない榊原家だって祖父とその実家は長らく絶縁状態にあるし、そのくせに妙に財産があったりするので遠縁の親戚が面倒をかけてきたりすることがある。由真の場合はある事情で家庭崩壊中な上に親族内の人間関係が入り組んでいるし、おまけにアタシの家など比べ物にならない財産がある(彼女の実家は福岡市内で幾つもの病院を経営している)ので、その面倒くささには想像を絶するものがある。
 向坂の家にも同じように嫌気が差すほど面倒で、それでも容易に放り出すことのできないしがらみがあるのだろう。小さく唇を噛み締めている仕草に向坂が静かに憤慨していることが見てとれた。
「ところであなたたち、お昼は食べたとね?」
 先生は露骨に話題を変えた。向坂はその落差に目を白黒させている。
「さっき、葛きりは食べましたが……」
「やったら、ウチで食べていかんね。ちょうど家に帰る用事もあるし、私は五時間目は授業がなかけん、そがん急いで学校に戻らんでもよかけんね」
「いや、でも……もう用事は終わりましたから。これで失礼して、昼は途中でどこかに寄って食べようかと思うんですが――」
「あら、そげんね?」
 先生はいかにも残念そうに言う。
 
 ――ちょっと、何、考えとうと?
 
 胸の中に湧き上がる衝動に、アタシは自分に問いかけていた。
 アタシはただの道案内にすぎない。
 二人の男の子に興味以上のものを感じ、中でも向坂永一という男に――理由ははっきりしないにしても――シンパシーに似た何かを感じているのは事実だ。
 しかし、それはアタシの事情でしかない。
 向坂が遠い九州の地で亡くなった祖母の兄にどんな感情を抱いていても、冷淡な態度をとる親類に憤りを感じていても、アタシが口出しをする余地などまったくないはずだった。率直に言ってアタシもそれについては何も言うつもりはなかった。
 アタシの脳裏を占めていたのは、自分が知らない祖母の一面に触れて混乱する向坂の表情と、民芸店や資料館を見て歩きながら取り繕うようにはしゃいでみせた痛々しい笑顔だった。
 
「――ねえ、先生。向坂くんの伯父さんてどこにお住まいやったとですか?」
 向坂と志村から驚いた気配が伝わってくる。
「衛さんはウチの離れに住んどらしたとよ」
「じゃあ、伯父さんが師事しとらした先生っていうのは?」
「ウチの父親。衛さんは福岡のほうの大学に通いながら、父のところにも来よらしたとよ。で、父が久留米の大学を退官した頃から、一緒に郷土史の本とか書き始めて。父の紹介で同じ大学で講師にならしてからは、ずっとここに住んどらしたねぇ」
「ご結婚は?」
「一回、お見合いでせらしたけど、交通事故で亡くさしてね。それ以来、ずっと独身。私に「どげんや?」っていう人もおったけど、私からするなら衛さんはそがん対象て言うより、歳が離れたお兄ちゃんって感じでねぇ」
「それとに、ずっとお世話はされよったとでしょ? 先生の旦那さんは何も?」
「まあねぇ、ちょっとは妬きよったとかもしれんけど」
「ですよねぇ?」
 先生は可愛らしい照れ笑いを浮かべていた。アタシも合わせて冷やかすように笑った。
「……真奈ちゃん、話が盛り上がってるとこ悪いんだけど」
 向坂が会話に口を挟んできた。
「ん?」
「いや、そろそろ帰ろうかと思って。志村も腹を減らしてることだし。なあ?」
「えっ? いや、まあ……」
 口実にされた志村が慌てている。向坂の視線がそっちを向いた瞬間に志村に大げさに目配せをしてみせた。狼狽しているような目が見返してくる。
 アタシは構わずにわざとらしくポンと手を打った。
「やったら、ここでご馳走になっていったほうがいいやん。甘木の街ん中まで店がないとは来る途中で見たけん知っとるやろ。ねえ、先生?」
 先生は我が意を得たり、というふうにパッと明るい表情になった。
「そうよぉ、せっかく啓子さんのお孫さんが来らしたとに何も出さんで帰したとか言うたら、私も衛さんとか啓子さんに合わせる顔がなかもん」
「あ、でも、それじゃご迷惑だし――」
「なんねぇ、ぜんぜん迷惑とかなかよぉ。ほら、ウチはすぐそこやけん」
「はあ……」
 思ったとおりだ。この男は他人の好意を無下にできたりしない。それは本来は美徳のはずだけど、アタシのような人間の前ではつけ込まれる隙でもあった。
 まだうろたえている志村に今度はウィンクをしてみせてから、二人に「さっさと行くよ」と宣言して先生の後を追った。

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