夏の檻(OVER番外編)

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<14>


「昭和初期に民間から物納された土地。
戦時中に資料が紛失(焼失?)しているために、元の所有者などの、詳細は不明。


植生が付近の神社のもの(照葉樹林の資料を参照)と類似しているところから、
この辺りの古い林地の一部が、そのままの状態で残されたものと思われる。
建物があったとすれば、個人所有であった70年〜80年前。


しばらくは、A表の線内の土地に立ち入らないこと。
風呂トイレ以外の時間は、その部屋にいたほうがいい。
ヒマだろうから、勉強でもしてろ。」






「……なんだこれ」

たたまれた一枚のレポート用紙に書かれていたものは、手紙というより、箇条書きの報告書みたいだった。
何回も読み返してみたものの、俺に理解できるのは、せいぜい最後の三行くらいだ。
「勉強でもしてろ」
と書いてあるので、まさかと思ったら、厚い紙束の下の半分くらいは、問題集のコピーだった。
英語・数学・国語の三点セットで、解答と解説つき。
ペラペラとめくってみると、受験用というよりは、俺でも分かりそうな基礎的な学習っぽい。
つまり、中学一年〜二年レベルの内容ってことだ。



「向坂に勉強を教えてもらったりしたら?」
去年の担任だった葛西は、そんなことも言っていたっけ。
その時は、余計なお世話なんだよと言い捨てたような気がする。でも本当のことを言えば、俺が永ちゃんに教えてもらわないのは、永ちゃんて人が、教えることが苦手だからだ。
「俺がどうして分からないのか」が、永ちゃんには分からない。
天才プレーヤーが名コーチになれるわけではないのと同じ理由で、自分の中では、ほとんど無意識にやっている作業を、いちいち説明することが難しいらしい。
俺が問題を解きながら「これの答えナニ?」と聞けば解答を教えてくれるけど、「なんでこうなんの?」と聞くと、「うーん……」と悩み始めるので、答え以外の部分は、あんまり聞かないようにしている。
その永ちゃんが、わざわざ俺にも分かりそうな問題集を選んで、コピーをとってくれたのか。



「まあくん、入るわよ」
答えを待たずに、スッと障子が開いて、母さんが姿を見せた。
急須をのせた盆を持って立ち上がると、畳の上に散らかった紙を器用によけながら俺の横にたどりついて、何も言わずに茶を入れ始める。
気まずい。
母さんが、何もなかったみたいなスッキリした顔をしているので、余計に気まずい。
いつもだったら、メソメソしたり、恨みがましいことを言ったりするのに、この態度はなんなんだ。
「……お母さんね」
俺がグルグル考えごとをしながら茶を飲んでいると、ふいに母さんが言った。
「まあくんが、急に大人になっちゃったみたいで……どうしたらいいのか、分からなかったの」
話の行方の分からない俺は、ぽかんとした表情で、母さんを見返した。
そんな俺を見て、母さんは小首をかしげるようにして、優しく微笑んだ。
「だから、ちっとも気がつかなくて。まあくんが眠れなくって倒れちゃうくらい――進路に悩んでたなんて、思わなくて」


これがコントか何かだったら、俺はここで「ブーッ」と噴水のように派手に茶を吹くところだった。
あいにくコントではないので、びっくりして茶をヘンなふうに吸い込んでしまい、咳き込んだ。
「あら、だ、大丈夫?」
びっくりした母さんが、背中をさする。
いいから、とその手から脱け出して、俺は母さんに向き直った。
「俺が進路に悩んでるって、永ちゃ……向坂が? 言ってたの?」
俺の動揺を違うふうに受け取ったらしい母さんが、「まあ」と眉をひそめる。
「向坂くんのこと、怒らないでちょうだいね。家族には知られたくないだろうからって、まあくんには内緒だって約束して、やっと教えてもらったんだから」
「塩は? じゃ、あの塩はなんで?」
部屋の四隅に、結界でも張るように懐紙に盛られた塩を指さして、責めるように言う俺に、母さんは穏やかに微笑んだ。
「ああ、向坂くんのお祖母さまがね、最近は風水に凝っているんですって。これをやっておくと、疲れがとれてスッキリするからって。まあくん、元気になるまで、しばらくここで寝ていてね?」


俺は魚みたいに、意味もなく口をパクパクさせていた。
風水? 風水だって?
正月に初詣にだって行かない(事実だ)、あのばあちゃんが、風水なんて信じるわけあるか。
ウソだ。
あいつ、あの大ウソつき。
俺が倒れたことを適当なウソで母さんに納得させて、こんな部屋にとじこめて、どうするつもりだ。


「まあくん? どうしたの?」
いきなり立ち上がった俺に、母さんが驚いた声を出す。
レポート用紙を探し出し、もう一回、手紙を読んでみた。どうせ分からないと思って放り出していた資料のようなものまで、全部読んだ。
やっと目が開いたみたいに、何が書かれているのか、理解できた。
永ちゃんがどうして調べものをしていると言っていたのか、どうして靴を泥だらけにしていたのか、やっと分かった。
永ちゃんはずっとずっと、学校の裏の林のことを調べていたのか。


――建物があったとすれば、個人所有であった70年〜80年前。


俺が、見ないように考えないように、エイコさんの家に逃げ込んだり、仁科に当り散らしたりしている間に。
俺のバカみたいな言い分を信じて、俺があの夜に迷いこんだ家を、ずっとさがしてくれていたのか。
「向坂くんに出来ることは、ないと思うよ」
自信満々に言い切った、仁科の表情を思い出す。
仁科の言うとおりだ。
この話に、どうして仁科がかかわっているのかが分からないけど、仁科の言うとおりだと思う。
教室で倒れたあの時、永ちゃんも仁科も、どうして俺の目が覚めていることに気がつかないのか、不思議だった。
俺の目は、開いていなかったのだ。
だけど、俺にはまわりが見えていた。見えるはずのない角度から、二人の表情から動きまで、全部が見えていた。
まるで、体から、魂だけが抜け出してしまったみたいに。


――さっさと解決しないと、こんなことがしょっちゅう起きるようになるかもしれないけどね


適温に設定され、空調のわずかな稼動音しか聞こえない静かな部屋で、俺の額から冷たい汗が流れ落ちた。
解決しなくちゃいけないのは、俺だ。
何か、とんでもないものにつかまってしまったのは、俺なんだ。

外に目をやると、だいぶ陽が傾いて、薄暗くなり始めていた。
俺が行かなくては。

あのウソつきの、なんにも説明しようとしない、いつだって知らん顔の。
だけど、絶対にどんな時も俺を見捨てない、どこにいたって助けに来てくれるはずの永ちゃんを、行かせるわけにはいかないんだ。



夢の中で逃げまわっていた、あの暗い森の中へ。

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