夏の檻(OVER番外編)

BACK | NEXT | INDEX

<13>

次に俺が目を覚ましたのは、なんと自分の家の、どういうわけか客間だった。
20畳の和室のど真ん中に敷かれた布団の上で起き上がると、まわりはシンと静まり返って、障子には西日が射している。
夕方、みたいだ。
俺は浴衣を着せられていて、枕元には盆にのった水差しとコップが置かれていた。

なんか……あんまり把握したくない気もするんだが、この状況はなんなんだ。

俺が額に手を当てて悩んでいると、トットットッ、と軽い足音が駆けて来て、障子に小さな影絵をつくった。
「リリー」
母さんが可愛がっている、日本スピッツのリリー。
「リリー、こっち来いよ」
見えるかどうか知らないが、俺は影に向かって手招きした。
普通、猫なんかと違って犬はあまりやらないみたいなのだが、このリリーは器用に鼻先で扉を開けたりできる。
だから呼べば入ってくるはずなのに、この時は様子が違った。
ウロウロ、ウロウロ、廊下を行ったり来たりを繰り返している。
「リリー?」
とうとう立ち上がって俺が障子を開けると、あわてて逃げ去って行く、白い毛のかたまりが見えた。
「……なんなんだよ」
ちょっと傷ついて、俺は障子に寄りかかった。
他人に嫌われるのなんかは慣れっこだけど、自分ちの飼い犬にまで逃げられたことはない。



「……起きたの?」
どこに潜んでいたのか、背後で母さんの声がして、俺は飛び上がった。
「何か食べられる? それともお茶にする? あ、これで体ふいてちょうだいね」
寝込んでいたはずの母さんが、いつになくしっかりした様子で現れ、早口で言いながら、俺にタオルを押し付ける。
「お、お茶を……」
らしくもなく、俺は動揺して、どもってしまった。
思えば、母さんとこんなふうに顔を合わせるのは、俺が突き飛ばして家を飛び出した、あれ以来なのだ。
「お茶ね。はい、着替えここに置くから、着替えておいてね」
きびきびした態度で、枕元に白っぽい浴衣を置くと、出て行こうとする。
「あの」
いろいろな意味で気まずい俺は、まるで他人みたいに母さんを呼び止めた。
「俺、どうやってここに……帰って来た……?」
母さんは、何も言わずに俺の顔を見返した。
目も鼻も口も小づくりで、人形みたいにおとなしいこの人の顔を、こんなふうに正面から見るのは、ひさしぶりのような気がする。
「あなたのお友達が、電話をくれて」
「友達って永……向坂?」
母さんは小さく頷いた。
「そう。向坂くんがタクシーで、ここまで運んで来てくれたの」
「ここって、まさか……ここ?」
おそるおそる、座敷を指して、俺は聞いた。
「そうよ?」と母さんは顔色を失くしている俺を、不思議そうに見る。


待てよ、ウソだろ。
永ちゃんが、この家に来たのか?


他人が聞いたら笑うだろうけど、世界が傾くくらいのショックを受けて、俺はよろめいた。
ここに来たのか。廊下のヘンなとこに飾ってある日本刀とか、あの虎の剥製とか、見られたのか。
自分はしょっちゅう永ちゃんの家に入りびたっているくせに、俺は永ちゃんをこの家に連れてきたことはない。
というより、連れて来たくなかった。絶対に。


「何か……話した?」
「向坂くんと? お父さんがちょうど帰ってらして、私はあんまり……」
ちょっと待て。
「おお、親父ー? なんで親父? 親父がうちに帰って来たってこと? 親父が永ちゃんと会っちゃったってこと?」
「だから、そう言ってるでしょう?」
俺の動揺の意味なんてものを理解できるはずもない母さんが、心配そうにこっちを見る。

なんてこった。
なんて日だ。
親父と永ちゃんが遭遇する日が、まさか来るなんて。
しかも、俺がのんきに寝こけている時なんかに……。

「あらやだ、まあくん、ここから出ないでちょうだい」
いきなり母さんに押し戻されて、脱力していた俺は、後ろに倒れこみそうになった。
「な、なんで」
「向坂くんが言ってたの。体をきちんと清めて、天然塩で四隅に盛り塩して……で、いいのよね?」
母さんは、どこからか紙きれを取り出して、読み上げるように言う。
「塩? なにそれ?」
「だめよ。まあくんには、こっち。後で読んでおいてねって」
向坂くんが言ってたから、と母さんの紙を覗き込もうとした俺に押し付けられたのは、厚い紙束だった。
わけがわからないまま、客間に戻って座り込むと、俺はその紙を畳の上に広げてみる。
古そうな記事だとか、郷土史の本だとか、地図のコピーだ。
一番上に、レポート用紙をたたんだものがあった。


「志村へ」
から始まる、ペン字の手本みたいにクセの無い、きれいな文字の。
永ちゃんからの手紙だった。

BACK | NEXT | INDEX
Copyright (c) 2006 mana All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-