夏の檻(OVER番外編)

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<05>

担任の飯田が、汗を拭きながら「夏休みの過ごし方」について、あれこれ言っている。
受験生である君らにとって大事な夏になるだの、気を抜かないようにだの、べつに間違っちゃいないが、もう少し個性のある言い回しは出来ないのか、聞いているだけで眠くなってくる。
ただでさえ、俺はここ何日か夏バテ気味で、夜にしっかり眠れていないせいか、昼間やたらと眠いのだ。


ああ、なんだかなあ。すげえダルい……。


あくびを噛み殺しながら、なんとなく隣の席を見る。
隣の席の仁科麻紀は、まっすぐ、不自然なくらいまっすぐに顔を上げて、正面を向いていた。
以前は、なんだかんだと俺に話しかけて来てうるさいくらいだったのだが、ここのところ全くそれがない。
仁科のこの俺に対するシカトぶりは徹底していて、こっちを見ようとさえしないので、クラス内の事情には宇宙一うといはずの永ちゃんにさえ、
「仁科さんとケンカでもしたのか?」
と聞かれてしまった。


思い当たることといったら、俺の昼寝場所で仁科に文句を言われたことくらいだけど、あれでどうして、俺でなくて仁科のほうが怒らなきゃならないんだ。
まったく分からん。

やっと飯田の寝言のような注意から解放され、さっさと出て行こうとしていたら、隣のクラスのヤツに呼び止められた。
「志村ー、飯田センセが職員室に来いってー」
「なんで」
「知らね。伝言それだけ」
隣のクラスの本田(たぶん)は、言うだけ言って、ひらひらと手を振って通り過ぎる。
委員会があるという永ちゃんを、どこかで待つつもりでいたから、俺はヒマだ。
だから飯田の呼び出しに付き合ってやったっていいのだが、話の内容の見当はついているんで、あんまり気乗りしなかった。
だいたい、飯田のやつは担任で、さっきまで同じ教室にいたくせして、俺に直接「あとで職員室へ来い」と言わず、いつもいつも他のやつに伝言を頼むっていうのは、どういうわけだ。
「……あんたが威嚇するからでしょ」
すぐ後ろで俺の心の呟きに答えるような低い声がして、ぎょっとして振り返ると、仁科の後姿が遠ざかって行くところだった。



教室の中から、ボソボソと会話の切れ端が聞こえている。
「……でしょ?」
「……かな」
誰の声か、すぐに分かる。
男のほうは永ちゃんだ。
女のほうは……誰だろう。
俺は教室の前で足を止めて、聞き耳を立てた。


結局、俺は飯田の呼び出しは聞かなかったことにして、いつもの場所でちょっとだけ昼寝をした後、ブラブラと教室へと戻って来ていた。
そろそろ委員会の終わる時間だし、永ちゃんもそのうち来るだろう。
そう思ってやって来たら、教室の中から、なんだか楽しそうな声が聞こえてくる。
壁に寄りかかって、二人の会話を聞きながら、俺は首をひねった。
……分かんねえな。誰だ。


本人が気がつくことは、たぶん一生ないと思うが、永ちゃんは実はひっそりとモテている。
だけど理由は、俺に言わせれば、100%誤解なのだ。
俺みたいな態度の悪いヤツと違って、いつもおだやかに人当たりが良いせいで、周りは誰も気がつかないが。

永ちゃんてやつは、学校での自分の身の回りのことに、びっくりするくらい無関心だ。

そもそも、クラスの連中の区別がきちんとついていない。
ちょっと体つきが似ているだけの工藤と田川をいまだに平気で間違えるし、一年のころ同じクラスにいた奴らに至っては、半分くらいを忘れている。
ついでに言えば、授業もあんまり聞いている気配がない。
授業中は、自分なりの考えごとだか勉強だかをしているようで、昔こっそり借りたノートには、授業の進行とはまったく関係ない、解読不能な数式と図形と文章がズラズラッと並んでいて……あれは本当に恐ろしかった。



そんなふうに学校生活にも他人にも無関心なせいで、目の前で起きていることに、きちんと反応できていないのだ。
早い話、永ちゃんは、いつだってボンヤリしている。
しているのだが、おかしなことに、たとえどれほどボサッと立っていても、そういう風には見えないらしい。
「何事にも動じない」「冷静な」「落ち着いた」男であるという誤解を受けつづけ、ひそかにモテつづけ、本人がまったくそれに気がつかないくらいニブイので、そこがまたクールに見えるのだという――永ちゃんの評判については、誤解が誤解を生んだ奇跡のスパイラルが、こうしてすっかり完成してしまっている。



そのせいで、たまーに寄って来る女もいるのだが……
「へえー、そうなんだあ」
ガハハという、男みたいな笑い声が聞こえて、ようやく俺の脳内検索にヒットするものがあった。
ああ、そうだ。永ちゃんと同じ委員会の、ナントカ川。
ナントカ川……なんだっけ。髪がうねうねっと長くて、声がガラガラで、マスカラの濃い……。
「あれっ、なにしてんのー?」
俺が考えこんでいると、いきなりガラッと教室の戸が開いて、ナントカ川本人が顔を出した。
「向坂ー、志村来たみたいだよー」
教室の中の永ちゃんに、でかい声で教えてから、「んじゃね〜」と馴れ馴れしく俺に手を振って、パタパタと廊下を走り去って行く。
「……なんだアイツ」
思わず口に出して文句を言いながら教室へ入って行くと、永ちゃんがカバンに教科書を入れているところだった。
「え? 中津川? おまえ待ってるって言ったら、これくれた」
永ちゃんが、てのひらサイズの小さなスナック菓子の袋を掲げて見せる。
「なに餌付けされてんだよ」
俺がムッとして言うと、永ちゃんは不思議そうに俺を見返した。


中津川。
中津川は要チェックだ。なんたってクラスの女子さえ把握してない永ちゃんが、名前を覚えている女……。
「なにブツブツ言ってんだよ、どっか行くんだろ?」
「あー、うん」
先に廊下に出て歩き出す、何も知らない永ちゃんを、追いかける。
たまーに永ちゃんに寄って来る数少ない女を、きれいさっぱり排除しているのは、この俺だ。
そりゃ永ちゃんにだって、レンアイをする権利はあるだろう。
でもそれは、何も今じゃなくたって、高校に行って、俺がいなくなってからだっていいじゃないかと……まあ、そう思うわけだ。



「……ホントにここなのか?」
ガサガサと草をかきわけながら、俺と永ちゃんは道のないところを進んでいた。
学校の裏手の林は、一歩入ると、もう薄暗い。
ぎらぎらした夏の日差しを遮ってくれる樹があるので、気温はちょっと涼しいのだが、風が通り抜けない地形のせいか、どうしても空気がよどんでいるような気がしてしまう。
「うーん、雨が降ってさあ、ここをこう走って……どっかに入って、雨宿りしたはずなんだよなあ」
思い出しながら言う俺に、永ちゃんは疑いのまなざしを向けた。
「どっかって、どこで」
「それなんだよなあ……」
湿った土を踏みしめながら、俺はぐるりと辺りを見回した。


俺は先週、ここで雨宿りをして一晩明かして、それから明け方に家に帰ったつもりでいたのだが、永ちゃんの家に駆け込んだりと、自分の記憶にないところで、ずいぶんと怪しい行動をとっていたらしい。
ここで雨宿りをした、というところまではハッキリしている。
ところが、雨宿りをするような空き家みたいなものは、この林にはない。
探してみたら、見落としていた小屋でもあるんじゃないかと思って来てみたのだが、そんなものは、ぜんぜんまったく、カケラも見つからない。


「ヘンだよなあ……」
呟きながら踏み出した足が、ずるっと滑った。

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