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Letters

 永ちゃんが訪ねた相手というのはこの学校の先生で、今は授業の真っ最中だった。その間、俺たちは校長室で待たされた。
 造りは違っても、雰囲気はどこに行っても同じなのが校長室ってやつだ。バカでかい机があって、立派なくせに座り心地の悪いソファーセットがあって、トロフィーやら盾が並んだ棚がある。壁の上のほうには歴代校長の写真がズラリと並んでる。
 相手があることなので、俺たちは向かい合わせのソファの片側に並んで座っていた。
 一番奥が俺、真ん中に真奈、入口側が永ちゃんだ。並び方に含むところは何もない。永ちゃんが俺と真奈を奥にやり、真奈がさらに俺を先に追いやったので結果として男二人で女一人を挟んでるだけだ。前に付き合ってた三十路のOLがこういうのを「ドリカム状態」というんだと言っていたが、今はドリカムは二人なので何といえばいいんだろう。
「校長室って緊張しねえ?」
 俺が言うと、真奈が鼻を鳴らした。
「アタシは別に。あんたんごと、しゅっちゅう呼ばれよったわけやなかし」
「しょっちゅうじゃなきゃあるんだ?」
 珍しく永ちゃんがつっこむ。
「……まあね。別にそがん大したことやないとけど。上級生のヤンキーをぼてくりこかして呼び出されたり、無免許でバイク乗り回しようとばチクられて呼び出されたり」
「ぜんぜん大したことあるじゃん。おまえ、何者だよ」
 おしとやかとは最初から思ってなかったが、ちょっと予想外の武勇伝だった。永ちゃんも同意するように目を丸くしている。この調子で聞いていくと、俺の中のこいつの人物像はかなり修正しなきゃならなくなりそうだ。
 真奈は少しだけバツが悪そうな顔になった。俺が言えばムキになって反論するくせに、永ちゃんには困ったような顔を見せるだけだ。
「よう、永。まだ先生ってこねえの?」
「そろそろだろう。もう授業も終わることだし」
 永ちゃんは時計を眺めて言った。
 それとほぼ同時にチャイムが鳴った。開け放った窓から遠くの教室でいっせいに椅子を引く音が聞こえる。こんな田舎で暮らしたいわけじゃないが、こんなところでのどかに中学生をやってたら、俺も少しは違う高校生になってたかもしれない。
 しばらく待ってると、ガラガラっと音がしてドアが開いた。
「――ああ、あなたが永一くんねぇ?」
 入ってくるなり、小太りのオバハンが大声を出した。真奈とはイントネーションが違うがしっかり訛ってる。語尾の「ねぇ?」がガクンと下がるのだ。
「横河先生ですか?」
 永ちゃんは立ち上がって、小さく礼をした。オバハンはそうだと答えた。
「この度はいきなりお邪魔してすいません」
「あらあ、啓子さんから聞いとった通りやねぇ。歳のわりにえらいしっかりしとるって」
 オバハンの声のトーンが思いっきり跳ね上がって、永ちゃんは見た目ではっきり分かるほどたじろいでいた。
 真奈が肘で俺をつついた。
(……啓子さんって誰ね?)
 囁き声になるとハスキーさが強調されて妙に色っぽい。小声でも聞こえるように耳元近くに口を寄せてくるので耳たぶに息がかかる。どうでもいいがこの女、自分がやってることがどれくらい男の誤解を招くか、分かってるんだろうか。
 俺は永ちゃんの祖母ちゃんの名前だと答えた。
 家に行くと表札に<安斎啓子>と書いてあるので、名前はずっと前から知っていた。ただ、遠い親戚に同じ字で「ヒロコさん」がいるので、祖母ちゃんもそう読むのだとずっと思っていたが。
 そうじゃないと知ったのは去年の秋、祖母ちゃんの葬式のときだ。
「その――大伯父が大変お世話になったと聞いてます。ありがとうございました」
 永ちゃんが言うと、オバハンはパタパタと手を振った。
「なん、お礼ば言うとはこっちんほうよぉ。お墓参りに来てくれるとか、ぜんぜん思っとらんかったけんねぇ。――ばってん、不思議かもんよねぇ」
「何が……ですか?」
「ほら、形の上では衛さんは永一くんのお祖母ちゃんのお兄さんやけん、そがんふうにお礼ば言うてくれるとが正しかとやろうけど、私たちからするなら、遠くからわざわざ衛さんば迎えに来てくれらした感じもするとよ。お礼ば言うとはこっちかもしれんって」
「はあ……」
 永ちゃんは何と答えていいやら、悩んでいるようだった。こういう席ではあんまりそういうところを見せないので、俺は密かに驚いていた。
「そっちのお二人は?」
 オバハンは俺たちのほうを見た。永ちゃんは俺を手で示した。
「ああ、彼は僕の友人で、ちょうど九州に来る用事があったんでいっしょに来てるんです。で、彼女はこっちに住んでる彼の従妹です。僕らが秋月に行くって言ったら車を出してくれて」
「あら、そうねぇ」
 俺も真奈も別に隠す必要はないと言ったのに、もし聞かれたらそういう関係ということにしろと永ちゃんは言った。何十年も音沙汰なかった爺さんが住んでた土地で昨日知り合ったばかりの女といっしょにいたからって、誰の耳にも入るはずなんかないのに。
 オバハンは俺に向かってニッコリ笑った。
「こげん田舎でビックリしたやろぉ? せっかく来たとに、若か人が楽しむごたるところは何もなかもんねぇ」
「ええっと、まあ、そう――ッ!」
 脇腹に小さな痛みが走る。真奈が俺の顔を覗き込んで薄気味悪いほどニッコリ笑った。
「いえ、秋月に来るのは久しぶりなんで。ずっと前から、機会があったら案内するって約束してたんです。ねえ、正晴ニイチャン?」
「……そうそう。キレイだって聞いたもんで」
「あら、もうちょっとで桜も咲くとやけどねぇ。そしたら、本当にキレイなんよぉ」
 桜なんかどうでもいいよ。隣の暴力女をどうにかしてくれ。
 納骨堂には学校の昼休み(と授業がない5時限目)に連れて行ってもらうことになって、それまでの間、俺たちは秋月城跡とやらで時間をつぶすことになった。
「あの、すいません――」
 永ちゃんが言った。出て行きかけたオバハンが振り返った。
「なん?」
「さっき、僕のことを祖母から聞いたとおっしゃいましたよね。祖母とは面識があるんですか?」
「啓子さん? ああ、何度かこっちに旅行で来らしたことがあるとよ。それにそう……ここ何年かの衛さん宛ての手紙は、私が読んであげよったけんね」
 永ちゃんの大伯父(祖母ちゃんの兄貴のことらしい)は白内障にかかって、最後のほうは手紙を読んだりはできなかったとオバハンは付け加えた。
「衛さんのこと知らせたときに、啓子さんも亡くなったって聞いたときはビックリしたとよ。私たちは啓子さんのご家族はまったく知らんかったし、向こうもそうやったろうけんね」
「そうですね。祖母は一人で?」
 オバハンはうなずいた。
「いつも一人でフラッと。だいたい、いきなり衛さんに電話があって「明日から行くけど泊めてもらって良いか」って感じやったねぇ。「駄目って言っても聞かんのだから良いかも何もあったもんじゃない!!」って衛さんがブツクサ文句言いよらしたけど」
「はあ……」
 永ちゃんが何も言えない理由は俺にも分かる。
 何と言うか、いつも背筋がピシッと伸びてて堅い感じのする祖母ちゃんだった。俺はあんまり気にしなかったが、何事にもいちいち小言を言わずにはいられないし、何かやるならキチンと計画表まで作るタイプだ。
 そんな祖母ちゃんが「明日から泊めて」で出かけるなんて、ちょっと想像できない。いくら相手が兄貴でも。
「祖母は毎年、来てたんですか?」
「そういうわけやなかけど。都会の学校の先生やけん、そがんしょっちゅう休みはとれんかったとやろうね。それでも3年に1回くらいは来よんさったよ」
「最後に来たのは?」
「一昨年のちょうど今ごろ……そうそう。春休みの児童映画上映会んとき」
「児童……映画上映会?」
 永ちゃんの声が低くなる。
「甘木の教育委員会主催のイベントでねぇ。去年から著作権がどうとかいうてせんごとなったとやけど、それまでは毎年、春休みに市民会館で子供向けの映画ん上映ばしよったとよ。そればいっしょに見に行ったけん、間違いなかよ」
「祖母が映画を?」
「最初は誘っても来んかったとに、その日になって見に行くって言わしてね。よっぽど暇やったとかなって思いよったとやけど、映画が終わったらわんわん泣かすもんだけん、こっちがビックリしたとよねぇ」
「えっ、あの祖母ちゃんが!?」
 孫より先に俺が言ってしまった。真奈がこっちをジロリと睨む。
 俺だって口を挟む気なんてまったくなかった。ただ、それはあまりにも想像を超えていた。あの祖母ちゃんが映画を見て泣くなんて。
「映画は何やったとですか?」
 あまりのことに黙った俺たちに代わって真奈が聞いた。
 オバハンはディスニーの<アラジン>だと答えた。それと同時に授業開始のチャイムが鳴って、オバハンは「また後で」と言い残して廊下を走っていった。
 俺たちも校長室を後にした。運動場の隅を回って秋月城跡のほうに歩いた。
「アラジンって、魔法の絨毯に乗って40人くらい子分を連れた泥棒の話だろ?」
 俺が聞くと真奈は心底バカにしたような目を向けた。
「あんた、それって後ろ半分は<アリババ>やん」
 ……知るか。ディズニー映画なんて、もうずいぶん長いこと見てないし。
「そんなに感動的な話だったっけ?」
 俺は思わずため息をついた。
「まあ、ディズニーやけん、それなりに良い話にはなっとるけど。――ああ、アラジンがジャスミン姫を魔法の絨毯で連れ出すシーンは感動するかもしれんね。主題歌の「ア・ホール・ニュー・ワールド」がそのまま二人の台詞になっとってさ。画も綺麗やし」
「それ、どんな曲?」
「タイトルは知らんでも、聞いたことはあると思うっちゃけど。グラミーとか獲ったけんね」
 真奈は鼻歌でサビのところを歌ってくれた。聞いたことは確かにあるような気がする。気がするだけかもしれないが。
「ふーん。まあ、いいけど。なあ、永――」
 俺は後ろを歩いてくる永ちゃんを振り返った。
 永ちゃんの顔は真っ青だった。
「どうしたんだよ、永!?」
「……なんでもない。ちょっとな」
「ちょっと何だよ。こいつの運転が荒っぽくて車酔いでもしたのかよ?」
「あんたねえ、車降りてこんだけたって、今ごろそがんことなかろうもん。ねえ、向坂くん、ホントにどうしたと?」
「いや、本当になんでもないんだ。すぐに治る。――さ、行こうか」
 永ちゃんは笑ってそう言った。
 しかし、その笑顔はパーティーグッズのゴムマスク並みに不自然だった。

 
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