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Letters

 小石原川とかいう川沿いの緩やかな上り坂をZは力強く駆け抜けていく。春先の濃い緑の風景が猛スピードで飛んでいくのが狭苦しい後部座席の窓からも見える。
 山道といっても、山の中を通っているというだけのちゃんとした一般道だ。舗装してあるし幅もそれなりに広い。曲がり角もまったくないので、真奈は高速道路よりも気持ち良さそうにアクセルを踏んでいた。
 真奈は警官だった父親から聞いたという話をしていた。この辺の警察署にいた頃に自転車でこの道を走ったことがあるらしいが、空缶一つ落ちてないのに感心していたら実は自動販売機そのものが見当たらなかったというのだ。
 要するにそれくらい田舎だという話だ。確かに信号らしい信号もなければ対向車も滅多にこないところで、深い緑に囲まれた景色にはそれなりに心を癒されるようなところがある。そんな中にもセブンイレブンがあるのはご時勢かもしれないが、日頃はないと困るコンビニがこういうところでは邪魔に見えるから不思議なもんだ。
 川が大きくカーブしているところの交差点で、カーナビが「もうすぐ目的地です」と言った。真奈は<秋月>と大きく看板が出ているほうにハンドルを切った。
「さて、そろそろやけど。向坂くん、どこら辺って言いよったっけ?」
「秋月中学校。そこの横河って先生が、祖母さんの兄貴の世話をしてくれてたんだそうだ」
「秋月中――ああ、城跡の近くやね」
 真奈がカーナビの画面に目をやる。
「城跡って、こんなとこに城なんかあったのか?」
 永ちゃんはちょっとビックリしたように外の景色を見ていた。
「パッと見はただの田舎やけどね。秋月ってもともとは黒田藩の支藩なんよ。やけん、言うてみればこの辺は城下町。筑前の小京都って言われとるんて」
「小京都って日本中、どこにでもあるよな」
 俺が言うと真奈がちょっと口を尖らせる。
「まあね。でも秋月はホントにキレイで雰囲気もよかとよ。今でも門と城の石垣とか残っとって、紅葉とか桜の季節は観光客が多かし。あんたたちもあと半月くらい遅かったら、ちょうど満開の頃やったかもしれんね」
「それは残念だな」
「俺は別にどーでもいいけど」
「……あんた、ホントに無粋やね。少しくらい向坂くんば見習ろうたら?」
「うっせえ」
 真奈が「後で見に行く?」と聞くと、永ちゃんは苦笑いを浮かべながら「時間があったらね」と答えた。


 真奈が中学校の校庭にZを止めると、永ちゃんは「ちょっと挨拶してくる」と言って校舎に歩いていった。俺と真奈はここで待つことになった。
「うっわー、今どき木造校舎とかあり得ねえ」
「田舎に行くとわりとあるっちゃけどね。でも、こういうのもよかて思わん?」
「思わねえよ」
 俺は近くの大きな木にもたれてタバコに火をつけた。
「なあ、聞いていいか?」
「なんね?」
「おまえ、彼氏とかいねえの?」
 こいつにそんな男がいたって俺には何の関係もない――はずだ。なのに、どうしてそんなことを聞こうと思ったのか。自分でもよく分からなかった。
 真奈は何故か、照れ笑いを浮かべた。
「うーん、実は別れたばっかりなんよね。一年――いや、去年の夏からやけん、一年半くらい付き合うたんかな。自分で言うとも何やけど、かなりラブラブやったんよ」
「だったら、どうして別れたんだよ?」
「東京に行くんて」
「……東京?」
 真奈は小さくうなずいた。
「就職でね。会社自体はこっちなんやけど、採用の条件があっちに配属でもオーケーってことやったんよ」
「そんなことあるんだな。でも、だから別れるってのも気が短すぎじゃねえの。遠距離恋愛とかでも良かったじゃんよ」
「嫌よ、そんなん」
 意外と強い口調でそう言うと、真奈はそれっきり黙りこんでしまった。
 聞いちゃいけないことを聞いてしまったのは間違いない。しかし、謝ったところで一度口にしたことは取り返せない。
 なので、俺は無粋な男を続けることにした。
「おまえってさ、誰にでもこんな感じなの?」
 真奈は意味が分からなかったようにまばたきした。
「こんな感じって?」
「昨日知り合ったばっかりの男二人とドライブなんか、普通はしねえよ。親切とかそういう話じゃねえから。無用心にも程があるぜ」
「あ、心配してくれようと? それとも、そんなつもりなん?」
「バカ言え。誰がおまえなんか襲うか」
 もし、その気だったら不意打ちの一撃必殺でやらなきゃならない。反撃の機会を与えたが最後、喰い殺されるのはこっちだ。
「……まあ、アタシにしたら珍しかかもしれんね。人見知りするほうやし」
「おまえが!?」
 思わず大声が出る。真奈は俺を横目で睨んだ。
「そがん、ビックリすることないやん」
「ああ、悪い。でもよ、それにしてはなんつーか、馴染んでるよな」
「馴染んでるって、誰と?」
「永と。あいつ、あんまり初対面の人間と話したりしねえんだよな。まあ、そうじゃなくても無口なほうだけど」
「ふうん……」
 真奈はしばらく遠くのほうを見ていた。この学校はさっき話に出た秋月城跡の隣で、ここからもそれっぽい建物なんかが見える。桜並木があるのかどうかは、まだ咲いてない今はここからじゃ分からない。
「……向坂くんがどう思っとうかは知らんけどさ」
 真奈が口を開いた。
「アタシが人見知りせんかったんは、あんたたちが前の元彼に似とうからかもしれん」
「転校生がどうとか言ってた奴?」
「そう。見た目がってわけやないけど――雰囲気がね。優しそうやし、頭も良さそうやし」
 まあ、外れちゃいない。
「それに、なんて言うとかな。アタシともどっか似とう気がするんよ。よう分からんけど」
「おまえと永のどこが?」
「やけん、分からんって言いよるやん」
 真奈はちょっと陰のある笑いかたをした。問い質すのを遮るような目にそれ以上聞くのを躊躇わされる。
「別にいいけどよ。――あれっ?」
 校舎のほうから永の声がした。お茶を出してくれるから来いと言ってる。
 吸いかけのタバコをかざして「ちょっと待ってくれ」と答えた。しばらくの間、俺はタバコを煙に変える作業に没頭した。
「ところでおまえ、さっき――」
「なんね?」
「あんたたちが元彼に似てるって言ったよな」
「そうやったっけ?」
 小首を傾げて、真奈は少し意地悪そうに目を細くした。
「意外とちゃんと聞きようやん」
「茶化すな。永は分かったけど、俺はどこか似てるのか?」
「あんたはどっちかって言うと別れたばっかりの元彼に似とう。やけんかな、あんたが言うことすることにいちいちムカつくんは」
「何だよ、それ」
「あははは、冗談。ほら、向坂くんが呼びようよ」
 真奈はさっさと校舎のほうに歩き出した。俺は吸殻を足で踏み潰してその後を追った。
 ――真奈が俺たちに親切なのは、別れたばっかりでポッカリと空いた穴を埋めようとしてるからかもしれない。
 そう思ったが、それは間違っても口にしてはいけないことのような気がした。
 
 
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