水上奇譚

プロローグ



こいつは出来るやつだと、他人に一目置かれるためだけに生きてきた。
有能であることと、有能だと思われることの間には、実際には天と地ほどの差があるのだ。
自分は上司に理解されない、などとグチをこぼすサラリーマンは、要するに組織の中で生きのびるだけの、政治力というやつが欠けている。

……と思っていたのに。

大賀 おおが は物音をたてないよう、そっと首をまわし、肩をまわしてみる。
この草むらに身をひそめてから、どれほど時間が経ったのだろう。
湖のように広い、その人工池の水面をにらみながら、大賀はじっと待ち続けている。
(そういえば)
そういえば、昨日が自分の誕生日であったことを思い出す。三十歳というその年齢に、特別な感慨は何もなかった。
いまさら歳をひとつとる程度の変化が、何だというのだろう。
 

およそ考えられないほどの、馬鹿馬鹿しい、くだらない理由で。
大切にしていた仕事も恋人も、三週間前にすべてを放り出した、今となっては。


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