「Change the world

第三十三章

「――なぁ、真奈。ひとつ訊いていいか?」
「なんね」
「どうして俺は、せっかくの非番に呼ばれてもいないパーティの買い出しなんかに付き合わなきゃならないんだ?」
 村上が仏頂面でアタシを見る。もっとも、この男はアタシと過ごす時間の半分以上はこんな感じなので、今更気にかけるほどのこともない。
 三月ももうすぐ終わり。というより、三年間の高校生活も明日で終わりだ。
 卒業式の後は例年通りに講堂で謝恩会があって、その後は馴染みのある先生を囲んでの二次会だったり、所属していた部活主催の追い出しコンパがあったり、それぞれにイベントが催される。
 アタシはというと、去年に引き続いて謝恩会でタキシードを着てダンスの男役を務めた後は特に予定がない。所属していた空手部には幹事向きの人材がいなくて何も企画されていないし、助っ人を務めたところからのお誘いはあちこちからあるけど、あっちに出てこっちに出ないと角が立つので全て遠慮させてもらっている。
 というようなことを由真と三人組の前で口を滑らせたのが間違いだった。
 ――やったら、みんなでパーティしよう!! もちろん、料理は真奈の担当で!!
 何が「やったら」で何が「もちろん」なのかまったく見当がつかないが、とにかく、アタシの知らないところで話は決まってしまった。場所は平尾浄水のアタシの家、参加者はアタシと由真、恵と慶子、千明のいつもの三人組、空手部の部長にして生徒会長の美幸、その生徒会仲間が三人という結構な大所帯。
 そういうわけで前日の今日、アタシは買い出しのために糟屋郡にあるショッピングモールまで来ているのだった。村上を運転手兼荷物持ちとして。
「別によかろうもん。休みっていうたって、どうせ暇なんやし」
「暇じゃない。おまえに呼び出されなかったら、球を撞きにいくつもりだったんだ」
「ビリヤード? 誰かと約束しとったと?」
「……いや、一人で」
「あんた、何でそがん暗いと?」
「大きなお世話だ」
 憮然とした横顔に更なる追い討ちをかける。
「しょうがないやん。あんたがバンディット壊したけん、アタシ、足がないっちゃもん」
 村上の頬が引き攣る。
「……壊したんじゃない。壊れたんだ」
「何が違うとねって。どーせ調子に乗って、力いっぱいアクセル吹かしたっちゃろうもん」
「おまえと一緒にするな。初代のバンディットはオーバーレブさせすぎてエンジンをオシャカにしたくせに。250のバイクをエンジンブローさせた奴なんか初めて見たぞ」
 ちくしょう、古い話を。
「ふん。とにかく、あんたのせいで身動きとれんとやけん、素直にアッシーくんしとけばいいと」
「おまえ、それ、死語だぞ」
「せからしか」
 アタシの愛機、スズキ・バンディット250V(ちなみに二代目)はアタシがフェアレディZを借りる代わりに村上に貸し出されたあの日、持病の不整脈が悪化して心筋梗塞を起こし、修理工場に担ぎ込まれた。
 エンジンを降ろして調べてみたところ、幸いにもエンジンブロックには損傷がなかったので部品さえ揃えば修理は可能との診断だった。
 しかし、古いバイクなのでメーカーサポートはとっくに終わっているし、パーツ取りのために状態の良いエンジンを探すのは極めて難しいのが現実だ。大学の入学祝い(無事に受かった)に車を買って貰えることもあって、三年付き合った愛機は泣く泣く廃車することとなった。
 ちなみにアタシが秋月から電話をかけたときには、村上は動かなくなった一四〇キロ余りの鉄の塊と一緒に呆然と志賀島から見える玄界灘を眺めていたのだという。
 脳裏に浮かんだその情景があまりにも哀れだったので、「他に行くところはないのか?」という疑問を投げつけるのは差し控えた。
 ――絶対、俺のせいじゃないと思うんだがな。
 村上はあれから、アタシと顔を合わせるたびに不服そうにそう呟いているけど、責任を否定する材料もないのでいつの間にか尻窄みになってしまう。
 まあ、本当はエンジンの傷みそのものは経年劣化なので、村上に一〇〇パーセントの非を負わせるのは酷な話ではある。ただ、この男を黙らせられるチャンスなど滅多にないので意地悪く被害者面をしているわけだ。
 ショッピング・カートに山ほど食材とお菓子を買い込んで、ついでに飲み物もペットボトル入りのジュースを何本か買い込んだ。現職の警官の前でアルコール類を買うわけにはいかないので、それだけは後で近所に買いに行くことにしよう。それに、いざとなれば由真の部屋の備蓄を出させるという奥の手もある。
「卒業記念でホームパーティか。最近の女子高生は豪勢なもんだな」
「いいやん、別に。あ、来たいとならあんたも来てよかよ。女子高生に囲まれてハーレム気分が味わえるかもね」
「冗談はよせ。何処の世界に囲まれたが最後、ケツの毛までむしられるハーレムがあるんだ」
 ちぇっ、たかるつもりなのはお見通しか。
「それ以前に、俺がおまえの家に上がれるわけないだろう」
「去年の夏に来たときは上がったやん」
「あれは仕事だ」
 祖父母にとって村上は娘婿であるアタシの父親を告発した男だ。
 当然、好意的な目が向けられるはずもない。特に祖母は一時期、決して珍しくないその苗字を見ることさえ毛嫌いしていて、村上がある事件に関してアタシに事情を訊くために平尾浄水を訪れたときには、追い返しこそしなかったものの露骨に顔を強張らせていた。
 告発に至った事情を知った今は反応はかなり軟らかいものになった。
 けれど、人間というのは一度抱いた印象をそう簡単に変えられたりしない。年齢を重ねてしまった祖父母は尚のことだ。毛嫌いは気まずさに変わっただけで好意的な目が向けられないのは今も変わらない。村上もそれを察しているから滅多にウチに来ないし、来ても塀の外で突っ立ってアタシや由真が出てくるのを待っているだけだ。
「軽ーい感じで「こんちはー!!」とか言うたら、案外すんなりいくかもしれんよ?」
「アホか」
 村上は心底うんざりしたような目でアタシを見た。
「くだらないこと言ってないで、早いとこ済ませてくれ。俺は夕方から用事があるんだ」
「あー、そうですか」
 調子に乗ってわざと時間をかけてやりたくなるけど、アタシも明日に備えていろいろと準備があるのでさっさと買い物を済ませた。
 村上が車を回してくる間、正面エントランスの脇のスペースにある椅子に座っていたら携帯電話が鳴った。登録されていない番号からで誰からかは表示されていない。プププッという音がしたので同じソフトバンクだけど心当たりのない番号だ。
 まあ、いい。悪戯なら切れば済むことだ。
「もしもし?」
「ああ、真奈ちゃん。俺、向坂だけど」
「向坂くん!?」
 思わず声が裏返りそうになる。
「ど、どうしたと?」
「……いや、携帯電話を買ったから。約束しただろ、買ったらすぐに番号を教えるって」
「そうやったっけ?」
 確かにそんな約束をしたような記憶がある。
 それにしても律儀な男だ。そう言えば、博多駅に見送りに行ったときにも「東京に着いたら電話してよ!!」と言っておいたら東京駅の公衆電話から掛かってきた。
 あれっきりと思っていたら実は二回ほど電話が掛かってきていて、アタシたちは話をしていた。
 特に中身のある話ではない。どうやら長電話が苦手なところまで似ているようで、適当な近況報告をしたり、志村の今さらな大学受験(恐ろしいことに何処かに潜り込んだらしい)の話をしたり、何の興味が湧いたのか知らないけど空手の話をしたり――そんな他愛もない内容ばかりだ。
 あの夜に関することは、お互いに億尾にも出さなかった。
「ねえ、向坂くんとこ、今日が卒業式やなかった?」
 向坂は「ん?」と訊き返した。
「……そうだけど。何で真奈ちゃんがそれを?」
「志村のメール。アタシんとこの一日前やったけん、覚えとうっちゃけど」
 あの男からはちょくちょくメールがくる。最初はダラダラと長い文章だったけど、アタシの返事が短いのに合わせるようにどんどん短くなってきていて、最近はどんなに長くても三行以上のものは来ない。
「何か、良かことあった?」
「えっ?」
 うろたえたように声が裏返った。
「いいことって……何が?」
「ううん、特に何てわけやないけど。女の子から「第二ボタン下さい!!」とか言われんかったとかなーって思うたっちゃけど」
 ――そんなわけないだろ。
 想像していたのはそんな答えだ。しかし、向坂の返事は違っていた。
「実は、そうなんだ」
「エーッ!?」
 今度はアタシの声が裏返る番だった。
     
 

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