「Change the world」

第四章

 合計六人を完膚なきまでに叩きのめしてから二人をバイト先まで連れて行った。まだ夕食は食べていないと言うし、その割にはどこで食べるかも決めていない様子だったからだ。この後も街を出歩いてさっきのアホどもと鉢合わせというのもあまり感心しない。
 バイト代を受け取るために事務所に顔を出すと、工藤さんが紛い物のキューピー人形のような顔にいやらしい笑みを浮かべていた。これでも九州の空手界では名の通った猛者なのだがとてもそうは見えない。
「なんね、真奈ちゃん。いきなりカレシば二人も連れてきてからっさ」
「誰がカレシですか。だいたい、一度に二人も相手できませんって」
「真奈ちゃん、3Pとかするとね。うわぁ、ヤラしかぁ」
「……アホか」
「なんね、違うと?」
「当ったり前でしょうがッ!!」
 とても雇用主と従業員の会話には聞こえないが、それはいつものことだ。
 この<海鮮居酒屋・博龍>はその如何にもな屋号とは裏腹に、小洒落た店が多い西通り界隈でも指折りの高級店だ。白木を多用した和風の造りと間接照明を多用したムーディな演出。出されるのは玄界灘の海の幸。板長は名前を言えば誰でも知ってる某高級料亭で料理長を勤めた凄腕だ。
 従って、その客層はサラリーマンの中でもそこそこの地位にいる人たちが中心になるし、価格もそれなりのものになる。二人は店に入るなり、あまりに場違いなところに連れて来られたことに怖れをなしていた。
 ――大丈夫って。ちゃんと予算内に収めてあげるけん。
 安心させようとそう言ったけれど、二人の引き攣ったような表情は収まらなかった。まあ、無理もないことではある。
 ウーロン茶を三人分、店内の奥まった一画にあるテーブルまで運んだ。
 彼らは向かい合わせに座っていて、アタシが腰を下ろそうとすればどちらかと隣り合わせにならざるを得なかった。テーブルにグラスを置きながら、どちらかと言えばほっそりしたダッフルコートの彼の隣のほうが、両脚を開いてどっかり座っている革ジャンのほうより座りやすそうだと思った。
 なので、ダッフルコートの彼の隣に腰を下ろした。革ジャンがアタシを睨んできたけど意味が分からないので無視。
 ダッフルコートの彼は自分たちがトラブルに巻き込まれた経緯を話してくれた。ボウズ頭どもと揉めたのは革ジャンのほうだった。
「――へえ、大変やったね」
 気持ちは分からないではないけど、ちょっと背中にぶつかられたくらいでぶん殴るというのも堪え性のない話だ。アタシもたぶん、同じ反応をするだろうけど。
「君のおかげで本当に助かったよ。えーっと、まだ自己紹介もしてなかったね。俺は向坂永一。こいつは――」
「志村正晴」
「アタシは真奈。榊原真奈」
「強いんだな、君は」
 コウサカエイイチと名乗った彼は、心底感心したように息をついた。そう言われても照れ笑いを浮かべるしかなかった。
「別に大したことなかよ。あいつらが弱っちかっただけやん。ちょっと手加減したくらいやもん」
「どこがだよ」
 志村が口を挟んできた。向坂とは違う意味でこの男の声も押し殺したように低い。それが地声なのか、迫力が出るようにそうしているうちに習い性になったものかは微妙なところだ。
 それからしばらく、彼らが福岡に来た経緯などを聞きながら、オーナーのオゴリ(一人一〇〇〇円で食べ放題)で海鮮料理を堪能した。ブツクサ言ってた割には志村は一番食べて飲んだ。あんまりガツガツ食べるので、自分の分を食べるよりも二人の小皿に料理をよそってやるほうが忙しかったくらいだ。
「ふうー、食った食った」
「文句タラタラやったわりには、あんたが一番食べとうよね」
 支払いを終えて店を出ると、志村はポンポンと腹を叩いた。満腹になれば機嫌が直るあたりはまだまだ子どもだ。アタシが常日頃、由真に言われていることなので間違いない。
「これからどうすっと?」
 向坂がアタシのほうを向き直る。
「君は?」
「アタシはもう帰るだけ。だいたい、今日もバイト代の受け取りに来ただけったいね。今どき、振込みもしてくれんっちゃけん、呆れるよね」
「でも、手渡しのほうが『ああ、今月も頑張った』って気にならないか?」
「それはまあ、そうなんやけど」
 目の隅のほうでまたしても志村が拗ねてるのが見えた。無視しているわけじゃないのに、アタシにどうしろと言うのだ。
「俺たちもさっさとホテルに帰るよ。さっきの連中と鉢合わせはカンベンしてもらいたいし。それに明日は朝が早いんだ」
「どっか行くと?」
「墓参りに朝倉市ってとこまで」
「朝倉ぁ!?」
「ああ。実はウチの祖母さんの兄貴がこっちに独りで住んでたんだけど、病気で亡くなってね。それで」
「へぇ……。わざわざ、あんな遠かとこまで?」
「俺はこっちの人間じゃないから、どれくらい遠いのかは分からないけどね。でも、親類縁者が誰一人、墓参りに行かないのも薄情じゃないかと思うんだ」
「それはそうやろうけど。――それやったら、アタシが車で連れていっちゃろうか?」
「君が?」
 向坂はキョトンした顔をしていた。
 同じことはアタシも思った。けれど、一度口にした言葉は取り消せないので構わず続けた。そんなことを申し出た理由は自分でもよく分からなかった。
「アタシ、明日は別に予定とかないし。電車で行ったらむちゃくちゃ時間かかるよ?」
 朝倉市は福岡県の中西部。車で高速道路を使っても結構かかる。それを鉄道で行くなんて、アタシに言わせれば時間の浪費でしかない。何せ、一時間に一本しか列車が走っていないのだ。
「おまえ、学校どうすんだよ。明日は平日だぜ」
 志村が言った。
 ――分かっとうって、そがんことは。
 すんでのところでその一言を飲み込んだ。単に友だちが少ないだけかもしれないが、志村はアタシの周りにはいないタイプの男だった。言うことすること、いちいち癪に障るのは事実だ。しかし、それも含めてピシャリと撥ねつける気にはならない。
「アタシ、今年卒業やもんね。そうやないなら車でとか言い出すわけなかろ。人の話、ちゃんと聞きよる?」
「……んだと?」
「志村」
「だってよ――」
「いいから」
 向坂が静かに制すると、志村は不満そうな顔をしながらもそこで止まってしまった。向坂は不似合いな笑みを浮かべて、アタシのほうを向き直った。
「えーっと、榊原さん」
「真奈でよかよ。苗字で呼ばれると、慣れとらんし」
「じゃあ、真奈ちゃん。お言葉に甘えさせてもらってもいいかな? ――いいだろ、志村?」
「……ああ、永の好きなようにしろよ」
 渋々というよりは驚いたような表情で、志村は同意した。
 明日の朝、彼らが泊まっているホテルに迎えに行くと約束して踵を返した。
 帰りのバスの中で、借りるつもりだった祖母のアウディが昨日から車検に出されていることを思い出した。代車は借りてなかったはずだ。祖父のメルセデスがあるにはあるけど、それはいくらなんでも大袈裟すぎる。
 仕方ないので、村上恭吾の携帯電話の番号を呼び出した。
 村上はアタシにとってはかつて警察官だった父親の元同僚にあたる。あまり認めたくないがある事件で大きな借りを作った恩人でもある。そのお返しにアタシはこの男のマンションで通いの家政婦の真似事をしている。
「……どうした、こんな時間に?」
 脳裏に眼鏡のブリッジを中指で押し上げる怜悧で端整な顔が浮かんだ。声だけ聞いていたらとても刑事とは思えない。どっちかというと医者とか研究者が似合いそうだ。いつか白衣を着せてみようと思っているのだけどなかなかチャンスがない。
 いや、それはともかく。
「ごめん、明日、車貸してくれん?」
 理由を訊かれるかと思っていたのに村上は何も言わなかった。
「別に構わんが。こっちに取りにくるか?」
「朝早くやけど、よか?」
「だったら、俺がそっちに乗っていこう。代わりにおまえのバイクを貸してくれ」
「よかよ。ばってん、わざわざバイクで行かんでも、一日くらいバスで行けばいいやん」
「明日は非番なんだ。久しぶりにバイクで遠乗りも悪くないと思ってな」
「ふうん……」
 どうでもいいけど、生粋の福岡県人であるはずのこの男は、どうしてまったく福岡弁を話さないのだろう。何度かぶつけた疑問なのだけれど、納得いく答えが返ってきたことは一度もない。
「じゃあ、明日の七時におまえの家に行くよ」
「りょーかい。着いたらメールして」
 それだけ言うと、さっさと電話を切った。
 家に帰り着いてシャワーも早々にベッドに潜り込んだ。しかし、なかなか眠ることはできなかった。
 仕方がないので、志村と交換した携帯電話の番号をじっと見つめて睡魔が訪れるのを待った。道を訊かれただけの男の子が元彼に似ていたからといって、わざわざ車を出してまで遠くへ出かける約束をした自分に少し――いや、大いに困惑しながら。
 
   

-Powered by HTML DWARF-